トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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81 | GE20-20 | 宇品→千田町→紙屋町 地図の如き絵-十日市-横川 | 山下 アサコ(ヤマシタ アサコ) | 千田町、横川 | ||
82 | GE20-21 | 説明文 | 杉本 仙(スギモト セン) | 伝福寺 | ||
83 | GE20-27 | 家族の消息・状況 | 貝川 百合子(カイカワ ユリコ) | |||
84 | GE21-22 | 広島城の堀の焼けた蓮の茎、焼けただれた死体、防火用水槽に入り死んだ人々 | 西田 安子(ニシダ ヤスコ) | 広島城付近、西練兵場、紙屋町 | ||
85 | GE21-23 | 広瀬元町の復元図 | 伊藤 庫敏(イトウ コトシ) | 広瀬元町 | ||
86 | GE21-24 | 広瀬北町の復元図 | 伊藤 庫敏(イトウ コトシ) | 広瀬北町 | ||
87 | GE22-17 | 小屋の中で死んだおじいさん、川の土手で死んでいる若い人 | 二反田 熊太郎(ニタンダ クマタロウ) | |||
88 | GE22-50 | 燃え続ける松 | 田丸 義明(タマル ヨシアキ) | 福島町 | ||
89 | GE23-12 | 路上むしろ小屋に収容された負傷者 | 栗田 義美(クリタ ヨシミ) | 住吉橋 | ||
90 | GE23-31 | 川の中で死んでいる人々 | 二反田 熊太郎(ニタンダ クマタロウ) | 相生橋西詰 | ||
91 | GE23-32 | 水槽の中に頭を突込んでいる死体。柱の下敷きになって焼け死んだ人、足だけが残っていた | 二反田 熊太郎(ニタンダ クマタロウ) | 相生橋西詰100m、500m | ||
92 | GE23-43 | 縮景園,女学院附近の家々の地図 | 大松 光子(オオマツ ミツコ) | 鉄砲町付近 | ||
93 | GE23-45 | 第二部隊総軍騎兵隊で土塀が崩れ馬が死んでいる様子 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 第二総軍司令部 | ||
94 | GE24-15 | 裸で火傷した親子、親を捜す子供達 | 森井 アヤコ(モリイ アヤコ) | 青崎国民学校 | ||
95 | GE24-48 | 上天満町から避難する時の印象 | 川西 恒夫(カワニシ ツネオ) | 上天満町 | ||
96 | GE25-13 | 火葬が間に合わず防空ごうの中に収容された犠牲者の遺体 | 寺尾 知文(テラオ トモフミ) | |||
97 | GE25-21 | 川を流れる死体を見る人 | 岡村 スマノ(オカムラ スマノ) | 天満川 | ||
98 | GE25-42 | 万代橋近くの焼け跡や川の中の死体 | 二反田 熊太郎(ニタンダ クマタロウ) | 万代橋近く | ||
99 | GE26-22 | 水を求めて川に入り死んだ人、トタン屋根の下の負傷者、校庭で死体に油をかけて焼く | 佐藤 法行(サトウ ホウギョウ) | 本川、寺町、己斐国民学校 | ||
100 | GE26-28 | 戦友を捜しあてる。全身やけどで手もかけられない。「娘が娘が」と言って息をひきとった。 | 赤瀬 喜久一(アカセ キクイチ) | 比治山付近 |