トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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321 | GE09-46 | 地をたたき顔を地につけて家族の死を悲しむ朝鮮の人 | 草田 キヌ(クサダ キヌ) | 1945/8/17 | 矢賀国民学校 | |
322 | GE11-11 | 傷が化膿し、ウジの出てきた母とすがる子供。あたりには大量のハエが飛んでいる | 市田 融慈(イチダ ユウジ) | 1945/8/17 | 三川町 | |
323 | GE03-07 | 国民学校での負傷者の看護 | 平川 壽子(ヒラカワ トシコ) | 1945/8/18か、8/19頃 | 草津国民学校 | |
324 | GE11-48 | 仮救護所内の被爆者 | 増田 辰男(マスダ タツオ) | 1945/8/18頃 | 中央橋土手下の仮救護所 | |
325 | GE28-32 | 倒れた橋の欄干 | 橋本 坂市(ハシモト サカイチ) | 1945/8/19 | ||
326 | GE38-10 | 手当てに来た多くの被爆者 | 岡 愛(オカ アイ) | 1945/8/19 | 広島第一陸軍病院庄原分院(庄原国民学校) | |
327 | GE06-11 | 砂利のように積んである人骨の中に家族の骨を捜す | 木村 貞子(キムラ サダコ) | 1945/8/20 | 新大橋西詰 | |
328 | GE38-42 | 市内のあちこちで焚火をしているように赤い炎を出して燐が燃えていた | 内藤 弘(ナイトウ ヒロシ) | 1945/8/20 | 中国軍管区歩兵第一補充隊(現RCC)付近 | |
329 | GE27-43 | 福島川周辺で火葬されトタン板に並べられた遺骨が竜巻で一瞬のうちに舞い上がる | 木原 道子(キハラ ミチコ) | 1945/8/20過ぎ | 西天満町(現天満町 岩崎ビルの敷地) | |
330 | GE40-14 | 羽田別荘東側に並べられた瓦の上の遺骨 | 吉長 義唯(ヨシナガ ヨシタダ) | 1945/8/20過ぎ | 舟入町羽田別荘 | |
331 | GE06-27 | 川に浮かぶ死体や牛、焼けただれ黒焦げになって死んだ人々 | 楠田 フミ子(クスダ フミコ) | 1945/8/20頃 | 住吉橋 | |
332 | GE07-49 | 背中の火傷にウジがわき、お尻にできた床ずれから骨がみえる友人 | 廣川 越子(ヒロカワ エツコ) | 1945/8/20頃 | 牛田町 | |
333 | GE12-08 | 木が立ったままで焼けている | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/8/20頃 | 国泰寺附近 | |
334 | GE45-16 | 倒壊した建物のすき間から広島県産業奨励館が見える | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/8/20頃 | 本川国民学校 | |
335 | GE23-42 | 食糧がないため丸太を食べている軍用馬、骨と皮のようになっていた | 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) | 1945/8/22 | 三滝町 | |
336 | GE34-33 | 理容室の焼け跡、椅子のまわりに散らばった焼けた骨 | 小川 オサヱ(オガワ オサエ) | 1945/8/23 | 広島郵便局 | |
337 | GE30-45 | 亡くなった長女を大八車に乗せ山の上にある火葬場に運ぶ。 | 秋山 アサコ(アキヤマ アサコ) | 1945/8/27 | 安佐郡祇園町長束 | |
338 | GE11-36 | 遺骨を受取る遺族 | 田中 儀作(タナカ ギサク) | 1945/8/30 | 府中国民学校 | |
339 | GE31-40 | 鼻、口、耳から出血し、苦しみぬいて死んだ息子。 | 秋山 アサコ(アキヤマ アサコ) | 1945/8/30 | 安佐郡祇園町長束 | |
340 | GE06-36 | 血を吐きながら亡くなった弟。鼻血、脱毛があり身体中に赤い小さな斑点ができていた | 山下 正人(ヤマシタ マサト) | 1945/8/31 | 坂町・小屋浦の自宅 |