トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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301 | GE28-11 | 国民学校が収容所となり、むしろの上に被爆者を寝かせていた。 | 保田 イサコ(ヤスダ イサコ) | 1945/8/13 | 段原国民学校 | |
302 | GE28-40 | 倉庫の前にミカンのかんづめが開けたままになっていた。首なし、手足なしの黒焦こげの死体 | 井上 愛子(イノウエ アイコ) | 1945/8/13 | 広島駅に出るまでの通り | |
303 | GE33-28 | 火葬される死体と遺骨の山 | 前田 正一(マエダ マサカズ) | 1945/8/13 | ||
304 | GE45-11 | 兵隊に水をくれとたのむ若い女性 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 1945/8/13 | 打越町収容所 | |
305 | GE12-02 | 壁にもたれている女性の肩から腕に「うじ虫」が発生している。 | 平岡 隆(ヒラオカ タカシ) | 1945/8/13頃 | 広島赤十字病院 | |
306 | GE10-34 | 罹災証明書の発行、重傷者に名札をつける | 山下 正夫(ヤマシタ マサオ) | 1945/8/13~ | 本川国民学校 | |
307 | GE15-26 | 収容所の中でムシロに寝かされた人々、死体を焼く兵士 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 1945/8/13~8/15 | 打越町収容所 | |
308 | GE28-27 | 1日に五十三の死体の火葬をする | 桐原本 繁男(トゲモト シゲオ) | 1945/8/14 | 元可部警察裏の根の谷川原 | |
309 | GE29-16 | 肉親を捜し疲れて中国新聞社前の死亡者名簿に見入る人々 | 落合 フミコ(オチアイ フミコ) | 1945/8/14 | 中国新聞社前 | |
310 | GE01-49 | カトリック教会の庭で終戦の放送を聞き泣く人々 | 篠原 文子(シノハラ フミコ) | 1945/8/15 | 広島流川教会 | |
311 | GE10-27 | 重傷の老婦人の手術 | 原田 みどり(ハラダ ミドリ) | 1945/8/15 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
312 | GE22-11 | 重傷で横たわる私とそれを見守る娘 | 廣中 トラコ(ヒロナカ トラコ) | 1945/8/15 | 佐伯郡大竹町 | |
313 | GE22-18 | 川の杭にしがみついたかのような水ぶくれの遺体 | 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) | 1945/8/15 | 大正橋 | |
314 | GE38-34 | 級友にかつがれて100km離れた我家に着いた今は亡き友 | 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) | 1945/8/15 | 深安郡神辺町 | |
315 | GE39-14 | 川原で流木を集めて火葬する、川向うの道では肉親を探し求める声が聞こえる | 佐伯 綾子(サエキ アヤコ) | 1945/8/15頃 | 白島九軒町の川土手 | |
316 | GE13-32 | 積み上げられた無数の死体と川を流れる死体 | 石橋 新子(イシバシ シンコ)、中桐 春美(ナカギリ ハルミ) | 1945/8/16 | 工兵橋付近 | |
317 | GE13-38 | 積み上げられた死体、ほとんどが目を開けたまま死んでいる | 石橋 新子(イシバシ シンコ) | 1945/8/16 | 工兵作業場(牛田演習場) | |
318 | GE38-26 | 畑にトタン板を置いてその上に死んだ母親を乗せ火葬する。 | 楠田 フミ子(クスダ フミコ) | 1945/8/16 | 広島刑務所の近くの本川沿い | |
319 | GE06-47 | 重傷で歩く男の子、頭と胸にけがをしウジをわかせたまま歩く少年、髪の毛がぬけて布を巻いている婦人 | 柴崎 アヤ子(シバザキ アヤコ) | 1945/8/16頃 | 三篠町 | |
320 | GE17-26 | 大きくふくれあがった死体を竹竿で川岸に引き上げ合同火葬している様子 | 松本 良晴(マツモト ヨシハル) | 1945/8/16頃 | 元安川岸 |