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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
261 GE04-23 幼児の死体を焼場に運ぶ兵隊、はみ出した手足がぶらぶらゆれている 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/11 広島第一陸軍病院江波分院
262 GE04-24 全身が腐乱し菊の花におおわれたような死体、悪臭で呼吸ができない 綿岡 順次郎(ワタオカ ジュンジロウ) 1945/8/11 本川橋川下100m川岸
263 GE04-30 防火用水槽の親子の死体 藤本 四郎(フジモト シロウ) 1945/8/11 油屋町
264 GE04-38 ドームと火葬風景、焼けただれた自転車と人骨 松本 良晴(マツモト ヨシハル) 1945/8/11
265 GE05-09 被爆者収容所で父母の名を叫びながら息たえだえの学徒達 有木 絢子(アリキ アヤコ) 1945/8/11 舟入
266 GE06-21 郵便車で避難し、駅のプラットホームに寝かされた人々 上西 薫(カミニシ カオル) 1945/8/11 芸備線三次駅(現在の西三次駅)
267 GE07-27 収容した死体を焼残りの木材で焼き、瓦の上に並べる 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/11 寺町付近
268 GE08-32 川に浮かぶ倍近くふくれあがった死体を集め合同火葬する兵士達 松本 良晴(マツモト ヨシハル) 1945/8/11 元安川岸
269 GE11-07 被爆者収容所。負傷者の顔はどの顔も同じようにまっ黒で区別がつかない 有木 絢子(アリキ アヤコ) 1945/8/11 己斐駅付近の収容所
270 GE12-41 全身火傷で重傷の妻 谷峰 房太郎(タニミネ フサタロウ) 1945/8/11 牛田町の自宅
271 GE13-41 治療のためメスで膿みを削り取られ、痛さに泣き叫ぶ中学生たち 奥野 浅子(オクノ アサコ) 1945/8/11 大河国民学校
272 GE17-29 子供と話す兵隊 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/11 広島第一陸軍病院江波分院付近
273 GE25-30 県立広島第二中学校の校庭で二男の遺体を運んで焼く 満田 義忠(ミツダ ヨシタダ) 1945/8/11 県立二中校庭
274 GE27-25 常葉橋下の川の中の人々 相原 キクノ(アイハラ  キクノ) 1945/8/11 常葉橋下
275 GE31-35 燃える市街 原田 みどり(ハラダ ミドリ) 1945/8/11 段原
276 GE33-43 我子の遺体を舟で運ぶ途中、爆弾が投下され水柱が十数m上がる 堀 輝人(ホリ テルト) 1945/8/11 広島湾内
277 GE33-46 海田から大八車で連れ帰った伯父 藤本 仁一(フジモト ジンイチ) 1945/8/11 賀茂郡西高屋村
278 GE39-03 食事を被災者に配る 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/11 江波
279 GE44-42 死んだ我子をタンスの引き出しに入れて焼場に運ぶ 堀 輝人(ホリ テルト) 1945/8/11 草津町付近
280 GE06-24 医者に治療を受ける娘、治療を繰り返すが、21日に亡くなる 奥野 浅子(オクノ アサコ) 1945/8/11~8/21 大河国民学校

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