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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
221 GE11-09 傷だらけの身体で子供を探して歩き続け、発熱し、郷里に帰ることにした 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/10 横川駅
222 GE13-20 爆風でコンクリートの屏壁が倒れ義勇隊や学徒の命をさらって行った 村上 美佐子(ムラカミ ミサコ) 1945/8/10 広島市役所の裏
223 GE13-29 女子挺身隊らしき腹わたが飛び出た死体 南 隆治(ミナミ タカハル) 1945/8/10 福屋百貨店裏通用門
224 GE15-07 本川国民学校で重傷の母に風を送る幼女2人 進藤 博(シンドウ ヒロシ) 1945/8/10 本川国民学校
225 GE15-14 焼け落ちた家の石段に倒れている眼球の飛び出した子ども 藤本 仁一(フジモト ジンイチ) 1945/8/10 土橋付近
226 GE16-18 むしろの上に2列に並べられた被爆者 古川 正一(フルカワ ショウイチ) 1945/8/10 舟入町の電車通り
227 GE16-24 くすぶるクスノキの大木 古川 正一(フルカワ ショウイチ) 1945/8/10 国泰寺付近
228 GE17-12 横たわる無数の人々 山田 育枝(ヤマダ イクエ) 1945/8/10 広島赤十字病院
229 GE22-37 被服支廠に収容され亡くなった人々は、屋外の広場に山積みにされ石油をかけて火葬された 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/8/10 広島陸軍被服支廠
230 GE29-15 寝かされた負傷者、棺桶の中の死体、火葬の準備をする人 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 1945/8/10 飯室国民学校
231 GE29-37 汽車を待つ間ホームで寝ている。時々目を開けると人の足だけが見えた。 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/10 広島駅
232 GE33-44 飯室国民学校では毎日10人前後の人が亡くなり、亡くなった中には若い看護婦さんもいて驚く 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 1945/8/10 飯室国民学校
233 GE34-10 ムシロの上に寝て水を求める火傷した人々 藤本 四郎(フジモト シロウ) 1945/8/10 長束
234 GE34-28 ガスがたまり、腹のふくれた死体 川の底にしずんでいる魚 西谷 辰雄(ニシタニ タツオ) 1945/8/10 工兵橋付近
235 GE35-27 木材と死体を積み重ねて火葬する 西久保 義人(ニシクボ ヨシト) 1945/8/10 大須賀町
236 GE36-36 焼けただれた電車と死体 菊田 良三(キクタ リョウゾウ) 1945/8/10 舟入幸町
237 GE36-48 身体全体がむくみ腸が風船のように飛び出した男性の死体 西久保 義人(ニシクボ ヨシト) 1945/8/10 常葉橋
238 GE36-50 草原に倒れて死を待つ女性とその夫と子供の遺体 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) 1945/8/10 広島第二陸軍病院三滝分院前
239 GE37-37 軍人の白いシャツが死体からのハエで黒くなっている 上田 良三(ウエダ リョウソウ) 1945/8/10 舟入町付近(江波線の電車通り)
240 GE38-39 同じベッドの中で息を引き取った堀田夫妻 山田 育枝(ヤマダ イクエ) 1945/8/10 広島赤十字病院

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