トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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201 | GE46-29 | 炎上する中での負傷者 | 岡 源三郎(オカ ゲンザブロウ) | |||
202 | GE46-33 | 「顔」きのこ雲 | 岩田 博全(イワタ ヒロマサ) | |||
203 | GE41-14 | 中島本町にあったライオンカフェーの玄関 | 内田 豊(ウチダ ユタカ) | 1935年頃 | ライオンカフェ | |
204 | GE20-18 | 昭和18年頃の原爆前の中島本町周辺の見取図 | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 1943頃 | 中島本町(現在の平和記念公園付近) | |
205 | GE40-46 | 広島の夜景 | 山本 節子(ヤマモト セツコ) | 1945/08/ | 市内広域 | |
206 | GE30-33 | 荒涼たる焼け跡に残ったビルとところどころに建つバラックの家 | 落合 フミコ(オチアイ フミコ) | 1945/10/ | 比治山より臨む市内 | |
207 | GE26-46 | 叔母夫婦はカン詰の中で遺骨となっていた、近所の人が世話をしてくれた | 田中 岩夫(タナカ イワオ) | 1945/10/19 | 天満町 | |
208 | GE27-34 | 朝鮮から引き揚げて呉に帰る途中汽車から見た焼野原の広島、駅前の真新しい柵 | 藤本 蔦子(フジモト ツタコ) | 1945/10/中旬頃 | 広島駅 | |
209 | GE33-41 | 家や家族を失い、駅や橋の下などに住む人々 | 堀 輝人(ホリ テルト) | 1945/10~1945/11頃 | 己斐駅、旭橋 | |
210 | GE25-41 | 蚊帳を吊って寝ている夫婦、やけどのためなくなった眉毛を主人がマッチの燃えカスで書いていた | 楠見 ハツエ(クスミ ハツエ) | 1945/12/ | 市立第一高等女学校のそば | |
211 | GE13-28 | ほとんど意識のない重傷の母親と乳にすがる赤ん坊 | 村井 一三(ムライ カズソウ) | 1945/8 | 大竹国民学校修練道場 | |
212 | GE34-03 | 全身火傷を負いながらも肉親を捜し求めて火災が続く市内を走り回る人々 | 中川 信子(ナカガワ ノブコ) | 1945/8 | ||
213 | GE22-19 | 半焼け、ぶくぶくにふくれた男の死体 | 犬丸 フミ(イヌマル フミ) | 1945/8/ | 饒津神社入口 | |
214 | GE27-48 | 橋の歩道がめくれて、すきまから川がみえる | 樽本 叡(タルモト サトシ) | 1945/8/ | 相生橋 | |
215 | GE01-09 | 親族の安否を訪ねる途中電車通で見た救護所の様子 | 花岡 フサコ(ハナオカ フサコ) | 1945/8/10 | 舟入幸町 | |
216 | GE02-48 | 火傷を負い炎天下の中、ウジを体内から湧かせて柱にもたれている男性 | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 1945/8/10 | 佐伯郡五日市町楽々園応救所 | |
217 | GE06-25 | 脱線した汽車と川に浮かぶ死体、川原や饒津公園に避難した多数の人々 | 松岡 泰三(マツオカ タイゾウ) | 1945/8/10 | 常葉橋付近 | |
218 | GE06-48 | 火傷に苦しむ負傷者たち | 藤田 弥生(フジタ ヤヨイ) | 1945/8/10 | 宇品八丁目あたりの軍の建物の入口 | |
219 | GE07-11 | 張り出された収容者氏名の中に見つけた友の名前 | 山田 育枝(ヤマダ イクエ) | 1945/8/10 | 広島赤十字病院 | |
220 | GE07-35 | 兵隊による死亡者の火葬 | 菊田 良三(キクタ リョウゾウ) | 1945/8/10 | 舟入幸町 |