トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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61 | GE45-14 | 川洲に横たわる数多くの死体、橋の上でうめく人たち | 小川 紗賀己(オガワ サガミ) | 1945/8/6 | 住吉橋、住吉神社 | |
62 | GE45-13 | 炎天下の学徒の死体、焼け跡の一家全滅の遺骨 | 杉本 仙(スギモト セン) | 1945/8/8 | 東観音町 | |
63 | GE45-11 | 兵隊に水をくれとたのむ若い女性 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 1945/8/13 | 打越町収容所 | |
64 | GE45-10 | 目のまわりが青く膨れた老婆、火傷の馬、橋の上の重傷の県立広島第一中学校生徒、水をくださいと頼む人 | 神原 一(カンバラ ハジメ) | 1945/8/7 | 向洋から広島へ向かう街道の道端、福屋前 | |
65 | GE45-09 | 似島から護送されてきた負傷者。悪臭とうめき声が満ちている | 杉本 仙(スギモト セン) | 1945/8/6~ | 廿日市町収容所 | |
66 | GE45-08 | 原爆による被災者たち、ある者はボロ切れをまといさまよい、ある者は立ったまま息絶えた。 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/6~8/10 | 段原大畑町、河原町、松原町、大洲四丁目 | |
67 | GE45-07 | ほとんど全裸で逃げる負傷者、赤ん坊を抱いたまま倒れている母親、歩けなくなって水を求める人 | 川合 ミヱ子(カワイ ミエコ) | 1945/8/6 | 己斐本町 | |
68 | GE45-06 | 安佐郡方面へ逃れてきた母子 | 山田 育枝(ヤマダ イクエ) | 1945/8/6 | 川内国民学校付近 | |
69 | GE45-05 | 木挽町付近の死体、橋のたもとの死体 | 川口 シマ子(カワグチ シマコ) | 木挽町付近 | ||
70 | GE45-04 | 我子を抱いて家から脱出 | 香川 ヒサエ(カガワ ヒサエ) | 1945/8/6 | 天満町の電停近くの自宅の店先 | |
71 | GE45-03 | 市街地上空のきのこ雲 | 高田 滿(タカタ ミツル) | 1945/8/6 | 市内全景 | |
72 | GE45-02 | 竹やぶに吊るされた蚊帳の中に収容された無数の被爆者 | 藤森 長市(フジモリ ナガイチ) | 1945/8/8 | 広島第二陸軍病院三滝分院 | |
73 | GE45-01 | 東練兵場できのこ雲がわきあがるのを見る | 根石 福司(ネイシ フクシ) | 1945/8/6 | 東練兵場 | |
74 | GE44-70 | 市立第一国民学校に収容され手当てを受ける | 香川 勇(カガワ イサム) | 市立第一国民学校、向原 | ||
75 | GE44-69 | 宇品の陸軍船舶司令部に収容され、三日目にようやく治療を受ける、その後坂の国民学校に移送される | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6~1945/8/13 | 陸軍船舶司令部 | |
76 | GE44-68 | 白島から流川通りで見た黒焦げの死体、鶴見橋から軍がトラックで重傷者を運んでいる(説明文) | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6 | 白島から流川通り、鶴見橋 | |
77 | GE44-67 | 常葉橋北の川原から見た饒津神社、鉄橋の上の貨物列車、牛田町、白島町の火災の様子(説明文) | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6 | 常葉橋北の川原 | |
78 | GE44-66 | ヤケドしてにげる学徒 用水で死んだ人 | 橋浜 審(ハシハマ シン) | 1945/8/6 | 己斐駅 | |
79 | GE44-65 | 日赤病院付近から見た焼野原の市内 | 橋浜 審(ハシハマ シン) | 1945/8/6 | 広島赤十字病院 | |
80 | GE44-64 | 黒い雨が降った範囲 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/6 | 長寿園付近 |