トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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381 | GE09-06 | 猛火を逃れて川に入り、溺れながら流される人々 | 菅 葉子(スガ ヨウコ) | 1945/8/6 | 縮景園北側の川岸 | |
382 | GE09-07 | 黒い雨 | 藤本 四郎(フジモト シロウ) | 安佐郡祇園町大字長束 | ||
383 | GE09-08 | 手当の効もなく次々と亡くなる被災者たち、顔、髪は焼きただれ、腫れあがり見るも無惨であった | 佐藤 芳治(サトウ ヨシジ) | 1945/8/6 | 大野国民学校講堂 | |
384 | GE09-09 | 肉親を捜しまわる人々 | 篠原 文子(シノハラ フミコ) | 1945/8/7 | 上幟町 | |
385 | GE09-10 | 子供を抱き火を消してくれと叫ぶ婦人 | 上田 静人(ウエダ シズト) | 1945/8/6 | 横川駅近く | |
386 | GE09-11 | 川岸に避難した人々、体は全身焼けただれ油を塗っていた、死んだ母の乳房を求める子 | 平田 徳與(ヒラタ トクヨ) | 1945/8/6 | 太田川川岸(牛田水源地) | |
387 | GE09-12 | 大きなコンクリートの下敷になった人を助け出す | 植田 ミツコ(ウエダ ミツコ) | 1945/8/6 | 金屋町郵便局前 | |
388 | GE09-13 | 焼け残った我家で怪我人の応急手当をし、むすびをもたせる | 道岡 クニ子(ミチオカ クニコ) | 1945/8/6~8/7 | 白島東中町 | |
389 | GE09-15 | 避難先の国民学校の教室で輪になって寝る、水、水と一晩中うなっていた | 神山 幸子(コウヤマ ユキコ) | 1945/8/6 | 戸坂国民学校 | |
390 | GE09-16 | 焼け跡の防火用水漕での女学生奉仕隊の死 | 木村 貞子(キムラ サダコ) | 1945/8/8 | 新橋付近(現在の平和大橋付近) | |
391 | GE09-17 | 電車とその近くに倒れている人々、電車の中で1人生きて水を求める人がいた | 中野 健一(ナカノ ケンイチ) | 1945/8/7 | 寺町電車通り | |
392 | GE09-19 | 救急袋を持っている作者に助けを求める人々 | 樂本 ハルコ(ラクモト ハルコ) | 1945/8/6 | 京橋川(神田橋) | |
393 | GE09-20 | 救援のトラックに乗る人、皆大火傷を負い、両腕の皮膚はたれさがっていた | 田中 武彦(タナカ タケヒコ) | 1945/8/6 | 大州一丁目近く、現在の広島バス車庫付近 | |
394 | GE09-21 | 救援隊として市内で死体処理にあたる。火災は続き建物の下敷きになった人々の助けを求める声が聞える。 | 中村 嘉作(ナカムラ カサク) | 1945/8/7、8/8 | 広島駅、猿猴川、比治山、御幸橋、京橋川 | |
395 | GE09-22 | 蚊帳の中に傷ついた人を寝かせる、ナンキンをとって食べる | 菊田 良三(キクタ リョウゾウ) | 1945/8/6 | 舟入川口町の自宅の隣の畑 | |
396 | GE09-23 | 焼け跡の高い家の木にはさまれた黒焦げの死体、木につながれ立ったまま死んでいた馬 | 正田 ツネヨ(ショウダ ツネヨ) | 1945/8/8 | 中島本町、土橋 | |
397 | GE09-25 | 道の両側に並べられた全裸の焼死体、腹はひき蛙のようにふくれ男女の区別もつかなかった | 西土 万合枝(ニシド マリエ) | 1945/8/8 | 今の鷹野橋商店街 | |
398 | GE09-26 | 6人の子供の白骨とホームに置いた醤油と蛤 | 上田 静人(ウエダ シズト) | 1945/8/8 | 横川駅 | |
399 | GE09-27 | 土手で水を求める人々と死体 | 空野 初太郎(ソラノ ハツタロウ) | 1945/8/6 | 舟入町 | |
400 | GE09-28 | 火の海となった市街には倒れた人、家の下敷になった人々のうめき声があふれていた | 山下 正人(ヤマシタ マサト) | 1945/8/6 | 土橋付近 |