トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1981 | GE09-35 | 川向こうの材木置場の火焔、川を流れる焼トタン板、石段に腰かけただ呆然としている人々 | 三好 茂(ミヨシ シゲル) | 1945/8/6 | 住吉橋 | |
1982 | GE16-15 | 髪は逆立ち目も口も膨れた全裸の被災者たち、絵で見た幽霊のような手先からたれ下がっているのは皮膚だった | 三上 貞子(ミカミ サダコ) | 1945/8/6 | 南観音二丁目から庚午へ向かう道 | |
1983 | GE15-36 | 焼け跡から死体を集め、川原で火葬する。 | わたなべ あつし(ワタナベ アツシ) | 1945/8/9 | 常葉橋横 | |
1984 | GE34-37 | 東洋工業より広島市を見る | K. H.(ケー.エイチ.) | 1945/8/6 | 広島市内 | |
1985 | GE34-35 | 文理大正門で一匹の馬が死んでいる。比治山方面を見ると兵隊が死体を積み上げて火葬している。 | K. H.(ケー.エイチ.) | 1945/8/9 | 広島文理科大学 | |
1986 | GE28-10 | 広島赤十字病院玄関の収容しきれない負傷者たち | K. H.(ケー.エイチ.) | 1945/8/9 | 広島赤十字病院玄関 | |
1987 | GE24-12 | 応急手当場所になった東洋工業社員食堂に運ばれて来た負傷者の手当をし、名札をつける。 | K. H.(ケー.エイチ.) | 1945/8/6 | 東洋工業正門付近 | |
1988 | GE22-40 | 星あかりに燃える残り火 青い炎 | K. H.(ケー.エイチ.) | 1945/8/9 | 鷹野橋から比治山の間 |