トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1921 | GE42-19 | 爆風で脱線した電車、倒れた大木、防空ごうの死体、似島検疫所の負傷者たち | 霜村 喜一(シモムラ キイチ) | 1945/8/10 | 似島検疫所 ほか | |
1922 | GE15-26 | 収容所の中でムシロに寝かされた人々、死体を焼く兵士 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 1945/8/13~8/15 | 打越町収容所 | |
1923 | GE45-11 | 兵隊に水をくれとたのむ若い女性 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 1945/8/13 | 打越町収容所 | |
1924 | GE45-22 | 自宅の下敷になって意識不明になった母を助けてたおれた父 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 1945/8/6 | 中広町 | |
1925 | GE45-04 | 我子を抱いて家から脱出 | 香川 ヒサエ(カガワ ヒサエ) | 1945/8/6 | 天満町の電停近くの自宅の店先 | |
1926 | GE44-67 | 常葉橋北の川原から見た饒津神社、鉄橋の上の貨物列車、牛田町、白島町の火災の様子(説明文) | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6 | 常葉橋北の川原 | |
1927 | GE44-68 | 白島から流川通りで見た黒焦げの死体、鶴見橋から軍がトラックで重傷者を運んでいる(説明文) | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6 | 白島から流川通り、鶴見橋 | |
1928 | GE44-69 | 宇品の陸軍船舶司令部に収容され、三日目にようやく治療を受ける、その後坂の国民学校に移送される | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6~1945/8/13 | 陸軍船舶司令部 | |
1929 | GE44-70 | 市立第一国民学校に収容され手当てを受ける | 香川 勇(カガワ イサム) | 市立第一国民学校、向原 | ||
1930 | GE45-21 | 縮景園付近で被爆、常葉橋北の川原で午後四時まで待ち鶴見橋の方へ逃げる | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6~8/7 | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | |
1931 | GE15-46 | 下敷になった娘をかべをやぶって助け出そうとする母 | 香川 千代江(カガワ チヨエ) | 1945/8/6 | 西白島町 | |
1932 | GE26-36 | もえ上がる炎、おびただしい数の死体、白島長寿園付近にて | 香川 千代江(カガワ チヨエ) | 1945/8/6 | 三篠町付近 | |
1933 | GE03-28 | 防火用水槽の死体 | 香川 喜美恵(カガワ キミエ) | 1945/8/7 | 材木町付近 | |
1934 | GE37-24 | 勤労奉仕に出て被爆し、家に帰ってきた主人の姿 | 高 サナ(タカ サナ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 | |
1935 | GE07-01-1 | 爆発音と白い光の後強力な風に瓦、トタン、鉄片、木の葉が降って来て戦友も自分もふっ飛んだ | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 広島第二陸軍病院 | |
1936 | GE07-01-2 | 気がつくと光が見え暗闇の中で必死に材木を取りのけ這い出ることができた | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 広島第二陸軍病院 | |
1937 | GE07-10 | 患者でいっぱいの戸坂国民学校講堂 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/7 | 戸坂国民学校講堂 | |
1938 | GE10-03 | きのこ雲の残る市内を望む | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 芸備線戸坂駅付近 | |
1939 | GE15-31 | 名札がないとわからない友人。死んだ3人の兵士は、皆風船のように膨れジャガイモのような色をしていた。 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/8 | 安芸郡戸坂村 | |
1940 | GE15-32 | 顔はゴムのように膨れ、体全体の痛みと発熱に苦しむ。 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/7 | 戸坂の自宅 |