トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1901 | GE16-03 | 死んだ母親の乳房を無心にすう子供 | 鍛治屋 末美(カジヤ スエミ) | 1945/8/7 | 広島県産業奨励館前 | |
1902 | GE19-29 | 相生橋周辺のようす | 鍛治屋 末美(カジヤ スエミ) | 相生橋周辺 | ||
1903 | GE32-40 | アズキ色に腫れあがり男女の区別もつかない死体を集め、川沿いで火葬する | 鍛治屋 末美(カジヤ スエミ) | 1945/8/7 | ||
1904 | GE40-34 | 人が重なり合って死んでいる電車、ところどころ燃えている火 | 鍛治屋 末美(カジヤ スエミ) | 1945/8/7 | 八丁堀、立町 | |
1905 | GE45-24 | 市内整理中、大きな柱の下でうめいていた人、柱を切って外に出すがやがて亡くなった | 鍛治屋 末美(カジヤ スエミ) | 中広町 | ||
1906 | GE29-41 | 服がボロボロになり、放心状態の級友。右手の手当てをし、比治山橋に出る。 | 長岡 ワカエ(ナガオカ ワカエ) | 1945/8/6 | 昭和町 | |
1907 | GE33-04 | 切れた電線が垂れ下がった電車道、「誰か連れてってくれ」と両手を上げて叫ぶ男子学生 | 長岡 ワカエ(ナガオカ ワカエ) | 1945/8/6 | 比治山下の電車通り、多聞院を過ぎた所 | |
1908 | GE33-19 | 被爆後モンペからは煙が出、皮膚がたれさがり、もっていたモンペをはきかえた | 長岡 ワカエ(ナガオカ ワカエ) | 1945/8/6 | 昭和町 | |
1909 | GE36-26 | 燃える広島駅 | 阪田 寛(サカタ ヒロシ) | 1945/8/6 | 広島駅付近 | |
1910 | GE40-40 | 死体収容所 | 阪田 寛(サカタ ヒロシ) | 1945/8/6 | ||
1911 | GE43-37 | 路上に横たわる裸の死体 | 阪田 寛(サカタ ヒロシ) | 1945/8/6 | ||
1912 | GE43-38 | 救護班の医師と看護婦 | 阪田 寛(サカタ ヒロシ) | 1945/8/6 | ||
1913 | GE38-38 | 負傷者と死体でいっぱいの救護所で娘を見つけ、家に連れて帰る、9日に死亡 | 阿部 敏子(アベ トシコ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校 | |
1914 | GE24-16 | 8.8 段原大畑町 電車とレール、赤十字のテント | 陰山 壽美恵(カゲヤマ スミエ) | 1945/8/8 | 段原大畑町 | |
1915 | GE24-30 | ガンギを埋める焼死者 | 陰山 壽美恵(カゲヤマ スミエ) | 1945/8/8 | あらゆる川土手 | |
1916 | GE24-32 | 材木町で見た死体の山、手を合わせながらまたいで通った。おばあさんが血を吐いていた。 | 陰山 壽美恵(カゲヤマ スミエ) | 1945/8/8 | 材木町 | |
1917 | GE28-35 | 相生橋につながれていた青い目の青年 | 陰山 壽美恵(カゲヤマ スミエ) | 1945/8/8 | 相生橋 | |
1918 | GE36-06 | 府中国民学校へ逃げる人、負傷者の焼けた皮膚、もえる街 | 陰山 壽美恵(カゲヤマ スミエ) | 1945/8/6 | 府中町茂陰 | |
1919 | GE44-17 | 目がとびだし、舌が風船ガムをふくらましたようになった死体 | 陰山 壽美恵(カゲヤマ スミエ) | 1945/8/8 | 南竹屋町 | |
1920 | GE25-15 | 肉親を求める何千という人々、乳児を抱く母、紫色に火傷した女学生 | 難波 雪枝(ナンバ ユキエ) | 1945/8/6 | 東練兵場 |