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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1861 GE17-03 きのこ雲 進藤 不三枝(シンドウ フジエ) 1945/8/6 賀茂郡乃美尾村
1862 GE17-04 ギラギラと燃えながら上空に上がって行くきのこ雲 進藤 不三枝(シンドウ フジエ) 1945/8/6 賀茂郡乃美尾村
1863 GE17-05 次第に色がさめて流れ始めるきのこ雲 進藤 不三枝(シンドウ フジエ) 1945/8/6 賀茂郡乃美尾村
1864 GE17-06 上空に上り色は薄くチラチラと光ながら流れていったきのこ雲 進藤 不三枝(シンドウ フジエ) 1945/8/6 賀茂郡乃美尾村
1865 GE15-07 本川国民学校で重傷の母に風を送る幼女2人 進藤 博(シンドウ ヒロシ) 1945/8/10 本川国民学校
1866 GE27-28 花模様の新しい浴衣を着て死んでいる女の子 進藤 博(シンドウ ヒロシ) 1945/8/7 天神町津田煙草店前
1867 GE32-12 防火用水槽にもたれる50歳くらいの女性 進藤 博(シンドウ ヒロシ) 1945/8/7 天神町
1868 GE38-07 収容船を待つ被爆者の群 進藤 博(シンドウ ヒロシ) 1945/8/7 住吉神社付近
1869 GE43-25 40歳くらいの男子の死体 進藤 博(シンドウ ヒロシ) 1945/8/7 天神社境内
1870 GE43-29 50歳くらいの男子の死体 進藤 博(シンドウ ヒロシ) 1945/8/7 天神町セメント組合(旧中村医院)入口
1871 GE09-13 焼け残った我家で怪我人の応急手当をし、むすびをもたせる 道岡 クニ子(ミチオカ  クニコ) 1945/8/6~8/7 白島東中町
1872 GE06-12 いかだに乗って避難する子供と、必死で叫ぶ乗り遅れた親 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) 1945/8/6 住吉橋下流
1873 GE06-39 橋の上、水の中で苦しむ人々 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) 1945/8/6 住吉橋
1874 GE06-40 川に浮かぶいかだと暁部隊の船 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) 住吉橋
1875 GE10-11 収容された負傷者を看護する兵隊、死体を運ぶトラック 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) 陸軍船舶司令部(暁部隊)
1876 GE24-26 いかだと暁部隊の船、燃える電柱 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) 1945/8/6 住吉橋
1877 GE33-10 負傷者を看護する兵隊、死体を安置所から金輪島に運ぶトラック 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) 1945/8/7 陸軍船舶司令部(暁部隊)
1878 GE14-43 火の海の中を自宅へ向かう作者 道辻 芳子(ミチツジ ヨシコ) 1945/8/6 鶴見橋附近
1879 GE44-01 火の海の中を自宅へ向う作者 道辻 芳子(ミチツジ ヨシコ) 1945/8/6 鶴見橋付近
1880 GE23-17 母の死を知らぬ子と茫然としている父親 遠藤 弘(エンドウ ヒロシ) 1945/8/6 天満町

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