トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1821 | GE26-50 | 道いっぱいにガラスの破片が落ちている。裸足の私は、渡るのに苦労した。 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島赤十字病院前 | |
1822 | GE27-01 | ピカドンの瞬間 事務所内のようす | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島県農業会 | |
1823 | GE29-19 | 顔や手足から血を流し、叫びながら右往左往している人々 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 鷹野橋交差点 | |
1824 | GE29-20 | やけどでふくれあがった死体がムシロをかけて並べてあった。 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/7 | 鶴見橋西側 | |
1825 | GE29-44 | 負傷者を船で運ぶ | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島港、宇品市営桟橋 | |
1826 | GE30-22 | 宇品から似島検疫所に向う | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島港、宇品市営桟橋 | |
1827 | GE30-44 | 汽車で西条の生家に向う | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/7 | 海田駅、段原大畑町 | |
1828 | GE31-32 | 焼け野原となった広島市内と黒焦げの死体 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/7 | 御幸橋~白神社 | |
1829 | GE32-18 | 電車と真黒な人 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/7 | 白神社付近の電停 | |
1830 | GE32-43 | 地下は机がいっぱいで、その中に爆風で落ち込んだ。 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島県農業会 | |
1831 | GE35-11 | 16才位の鼻にガラスの破片のささった女の子と兵隊 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/7 | 似島検疫所 | |
1832 | GE36-10 | 広島赤十字病院の外と内、ガラスの破片だらけの電車道 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島赤十字病院 | |
1833 | GE38-47 | 窓が黄緑になり大きな音がした後地下室に落ちる | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島県農業会 | |
1834 | GE39-16 | トラックに乗せられる人、火傷で泣き叫ぶ男の子 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島地方専売局南側電車通 | |
1835 | GE39-38 | 爆風で横倒しになった橋の欄干 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
1836 | GE40-41 | 死体を焼く兵隊 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/7 | 段原大畑町 | |
1837 | GE21-28 | 防空ごうに殺到し亡くなった人々。ほとんどが全裸であった。 | 赤木 恵(アカギ メグム) | 1945/8/6 | 比治山参道付近 | |
1838 | GE45-28 | 手当も受けられずただ収容されたまま苦しんでいる人々 | 赤木 恵(アカギ メグム) | 1945/8/8 | 己斐国民学校 | |
1839 | GE26-28 | 戦友を捜しあてる。全身やけどで手もかけられない。「娘が娘が」と言って息をひきとった。 | 赤瀬 喜久一(アカセ キクイチ) | 比治山付近 | ||
1840 | GE33-15 | 水を求める負傷者、死んだ子どもを放心状態で見つめる母親 | 赤瀬 喜久一(アカセ キクイチ) | 比治山 |