トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1781 | GE42-25 | 崩れた家屋から這い出ようとしたまま亡くなった人 | 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) | 1945/8/9 | 寺町付近(電車通り側) | |
1782 | GE42-26 | 炎天下にさらされて腐り、ウジがわいた兵隊の死体、焼板に「フモト軍曹」と書かれている。 | 向井 千代子(ムカイ チヨコ) | 1945/8/7 | 牛田の土手 | |
1783 | GE42-27 | 猿猴川に浮かぶ死体 | 武田 一美(タケタ カズミ) | 1945/8/8 | 松原町(猿猴川) | |
1784 | GE42-28 | プール、校庭、壁の下に並んだ焼死者 | 武田 一美(タケタ カズミ) | 1945/8/8 | 県立広島第一中学校 | |
1785 | GE42-29 | 水漕の生地獄 | 武田 一美(タケタ カズミ) | 1945/8/7~8/14の間のいつか | 段原大畑町 | |
1786 | GE42-30 | 川に浮かぶ死体を引き揚げる | 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) | 1945/8/8 | 太田川下流 | |
1787 | GE42-31 | 兵士達が担架で死体を運ぶ | 小林 みつ(コバヤシ ミツ) | 1945/8/8 | 櫓下 | |
1788 | GE42-32 | 瓦礫と破壊された建物で道路は見えない。広島城もばらばらになっている。 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 基町 | |
1789 | GE42-33 | 下敷きになった人を救えず涙をのんで去る | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 広島第二陸軍病院 | |
1790 | GE42-34-1 | 原田伍長の死 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 広島第一陸軍病院 | |
1791 | GE42-34-2 | 亡くなった軍医たち | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 広島第一陸軍病院 | |
1792 | GE42-35 | 避難した看護婦見習生たち | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 三篠橋 | |
1793 | GE42-36-1 | 戸坂へ向って川の水際を歩く | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 工兵橋付近 | |
1794 | GE42-36-2 | 大八車に重傷者を乗せ戸坂国民学校に向う。道端には重傷者・死者の山。 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 牛田水源地あたり | |
1795 | GE42-37 | 病院の残骸整理をする兵士たち | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/7 | 第二陸軍病院 | |
1796 | GE42-38 | 校庭に木を積み上げ、その上に死人を置き火葬する。 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 戸坂国民学校校庭 | ||
1797 | GE42-39 | 負傷者を色々な車で運ぶ | 小林 みつ(コバヤシ ミツ) | 1945/8/8 | 新庄 | |
1798 | GE42-40 | 水を求めて集まった子供達 | 西田 輝美(ニシダ テルミ) | 1945/8/6 | 土橋 | |
1799 | GE42-41 | 大正橋で被爆し饒津神社までの道のり | 瀬戸 芳松(セト ヨシマツ) | 1945/8/6 | 大正橋~饒津神社 | |
1800 | GE42-42 | 市内中心部からあがる黒煙 | 瀬戸 芳松(セト ヨシマツ) | 1945/8/6 | 饒津神社~己斐方面 |