トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1761 | GE42-03 | 燃える橋 逃げる婦人 | 西田 輝美(ニシダ テルミ) | 1945/8/6 | 福島橋 | |
1762 | GE42-04 | 川中に避難した無数の人々 | 西田 輝美(ニシダ テルミ) | 1945/8/6 | 天満橋 | |
1763 | GE42-05 | 竹やぶに避難した人々 | 西田 輝美(ニシダ テルミ) | 1945/8/6 | 新庄町 | |
1764 | GE42-06 | 崇徳中の学徒の行列 | 西田 輝美(ニシダ テルミ) | 1945/8/6 | 土橋付近 | |
1765 | GE42-07 | 頭にガラスがささり出血していた女性を励まし助け合いながら逃げる。 | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) | 1945/8/6 | 広島第二陸軍病院前 | |
1766 | GE42-08 | 防火用水槽の周囲にはたくさんの人が死んでいた。ほとんどの人が全身やけどで皮膚は破れ赤裸だった。 | 秋山 和男(アキヤマ カズオ) | 相生橋西詰付近 | ||
1767 | GE42-09 | 防空ごう内にたくさんの人が避難していた。みな全身やけどで苦痛を訴えていた。 | 秋山 和男(アキヤマ カズオ) | 西練兵場の防空壕 | ||
1768 | GE42-10 | 救助活動の兵隊、帽子を被っていた部分だけ頭髪が残り、ドングリを逆さにしたような格好になっている。 | 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) | 1945/8/6 | 中国軍管区歩兵第一補充隊裏門 | |
1769 | GE42-11 | 「お母さん、お母さん」と呼びながら死んでいった学徒たち | 滝本 透(タキモト トオル) | 1945/8/7 | 海田国民学校 | |
1770 | GE42-12 | 竹やぶの中に避難した人々 | 脇本 恭一(ワキモト キョウイチ) | 1945/8/9 | 三篠町 | |
1771 | GE42-13 | 肉親を捜す、相生橋の川岸に打ち寄せられたふくれ上った死体 | 辰岩 秀子(タツイワ ヒデコ) | 1945/8/10 | 相生橋 | |
1772 | GE42-14 | 水を求めてたくさんの人が川に入り死んでいた。橋の上からも水を求めた姿のままで死んでいた。 | 秋山 和男(アキヤマ カズオ) | 天満川川土手 | ||
1773 | GE42-15 | 長靴をはいた軍人の死体、建物の下敷になったままの黒焦げで目の飛び出した死体 | 森 鉄蔵(モリ テツゾウ) | 紙屋町電停前、寺町付近 | ||
1774 | GE42-16 | 橋下を流れる兵隊の死体 | 土橋 春人(ドバシ ハルト) | 1945/8/12 | 常盤橋 | |
1775 | GE42-18 | 川を流れる赤い全裸の死体 | 森 鉄蔵(モリ テツゾウ) | 1945/8/8 | 相生橋 | |
1776 | GE42-19 | 爆風で脱線した電車、倒れた大木、防空ごうの死体、似島検疫所の負傷者たち | 霜村 喜一(シモムラ キイチ) | 1945/8/10 | 似島検疫所 ほか | |
1777 | GE42-20 | 水槽の上にかがみ込んで死んでいる男女ニ人 | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/8 | 上流川町(広島中央放送局近くの角) | |
1778 | GE42-22 | 橋下に40~50ばかりの一糸まとわぬ死体 | 上岡 豊一(ウエオカ トヨカズ) | 1945/8/7 | 南大橋 | |
1779 | GE42-23 | 知人を訪ねて、柱の下敷きになり白骨となった姿を見る | 榎本 安枝(エノモト ヤスエ) | 1945/8/8 | 堺町一丁目 | |
1780 | GE42-24 | 川中の死体を引揚げ火葬する | 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) | 1945/8/10頃 | 広瀬町 |