トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1741 | GE41-32 | 死体は大八車に積み重ねられ兵舎の広場にある仮火葬場へ運ばれた。 | 秋山 和男(アキヤマ カズオ) | 1945/8/7 | 鉄砲町付近 | |
1742 | GE41-33 | 縮景園前の広場では死体が山積みにされていた。 | 秋山 和男(アキヤマ カズオ) | 1945/8/7 | 縮景園前の広場 | |
1743 | GE41-34 | 水を求めてたくさんの人が川に入り死んでいた。橋の上からも水を求めた姿のままで死んでいた。 | 秋山 和男(アキヤマ カズオ) | 1945/8/7 | 天満川 | |
1744 | GE41-35 | 防空ごう内に避難してきた被爆者。すでに死んでいる人もいた。 | 秋山 和男(アキヤマ カズオ) | 1945/8/7 | 西練兵場の防空壕 | |
1745 | GE41-36 | 松林に無造作につられた蚊帳の中で全身やけどの人が苦痛を訴えていた。 | 秋山 和男(アキヤマ カズオ) | 1945/8/7 | 井口の松林 | |
1746 | GE41-37 | 泣く友人を叱り励ましながら逃げる。上半身が赤向けになって歩いている人に出会って思わずギクリとする。 | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 中広町 | |
1747 | GE41-38 | 小さな木橋を渡ると逃げて来た道のあちこちから一斉に火の手があがった。川面には無数の死体が浮いていた。 | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 太田川 | |
1748 | GE41-39 | 両足の裏側を火傷した友人を助けながら歩く | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 己斐近く | |
1749 | GE41-40 | 大伯父夫婦に会いおむすびをもらって食べる。 | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 己斐近く | |
1750 | GE41-41 | 表紙「私は見た原子爆弾爆発の一瞬」 | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 1945/8/6 | 可部線安芸飯室駅前 | |
1751 | GE41-42 | 駅前の小店で広島に帰るため列車の時間待ちをする | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 1945/8/6 | 可部線安芸飯室駅前 | |
1752 | GE41-43 | 稲妻のような閃光に驚いて顔をそむけた | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 1945/8/6 | 可部線安芸飯室駅前 | |
1753 | GE41-44 | 山の向こうに真っ赤な火花がパーッと散りドーンと大きな音がした。 | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 1945/8/6 | 可部線安芸飯室駅前 | |
1754 | GE41-45 | 白い煙が立ち昇り、その先端がむくむくと盛り上がり、全体が大きく広がっていった。 | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 1945/8/6 | 可部線安芸飯室駅前 | |
1755 | GE41-46 | 青い空が暗くなった。駅員から広島の被爆を知らされ、列車の発着は不明。可部まで歩くことにする。 | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 1945/8/6 | 可部線安芸飯室駅前 | |
1756 | GE41-47 | 野原に蚊帳をつっている被爆者、次々と亡くなる人々 | 加瀬 時夫(カセ トキオ) | 1945/8/7 | 広島駅を出て右へ2kmの神社(総武2769部隊駐屯地) | |
1757 | GE41-48 | 山積みの軍需物資・炭など | 加瀬 時夫(カセ トキオ) | 1945/8/10 | 広島駅 | |
1758 | GE41-49 | 橋上の直後の人々、救護所で道行く人に乾パンを配給する | 山根 力男(ヤマネ リキオ) | 1945/8/6 | 御幸橋東詰、広島地方専売局南角の交差点 | |
1759 | GE41-50 | 妻子を連れて自転車で逃げる、担架に乗せた重傷者、倒れた子供達、死の直前の人に乾パンを与える | 山根 力男(ヤマネ リキオ) | 1945/8/6 | 饒津神社前、工兵橋付近 | |
1760 | GE42-01 | 尾長町より見たきのこ雲 | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/6 | 尾長町 |