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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
181 GE04-42 負傷者を満載したトラック 小川 オサヱ(オガワ オサエ) 1945/8/6 東洋工業前
182 GE04-43 大八車で運ばれる私と道端の焼け焦げた中年婦人の死体 山崎 佐世子(ヤマサキ サヨコ) 1945/8/9 舟入国民学校校庭から観音の川土手に向う途中
183 GE04-44 親切な人にサイダーとビスケットをもらう 佐伯 敏子(サイキ トシコ ) 1945/8/6 三滝近くの線路土手
184 GE04-45 原爆と同時に投下された測定用無線送信機の分解調査をしようとするところ 杉江 敬一(スギエ ケイイチ) 1945/8/10前後 呉海軍工廠電気部無線工場
185 GE04-46 負傷した兵隊、左顔面火傷で耳たぶが溶けてなかった、骨折した左腕にに木の枝を添木しゲートルを巻いていた 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/7 矢賀駅
186 GE04-47 校舎の下敷になり逃げだすが、友達を助けることができなかった 村上 弘子(ムラカミ ヒロコ) 1945/8/6 安田高等女学校
187 GE04-48 ウジが発生してくるので蚊帳を日中吊して看護する、枕元には肉親の骨箱がおいてある 田中 武彦(タナカ タケヒコ) 1945/8/12、8/13頃 船越町の被爆者収容所
188 GE04-49 電車レールの上にねかされた負傷者に数万匹のハエがおそいかかる 徳本 トシミ(トクモト トシミ) 1945/8/8 江波線の電車通り
189 GE04-50 火傷を負った韓国人の老人が牛車で運ばれ村の医院に治療を待っている 今田 進(イマダ ススム) 1945/8/7頃 佐伯郡友和村河津原 柴田医院前
190 GE05-01 呉港より見た原爆投下の瞬間 ピカ-火の玉-灰色の煙 中野 國松(ナカノ クニマツ) 1945/8/6 呉港 呉海軍工廠砲項桟橋
191 GE05-02 学校に行く途中に見たきのこ雲 植田 榮子(ウエダ エイコ) 1945/8/6 呉市
192 GE05-03 裸で赤黒く焼けただれた男女の見分けのつかない幽霊のような行列 谷 豪雄(タニ トシオ) 1945/8/6 金屋町~比治山神社前
193 GE05-04 似島から救護に向う途中、負傷した市民を満載した民船群に出あう 後藤 利文(ゴトウ トシフミ) 1945/8/6 似島から宇品への船上
194 GE05-05 タンカに乗せられ自宅へ帰る 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) 1945/8/6 古江
195 GE05-06 五日市に向かって歩く負傷者たち、黒こげになって性別のつかない人もいた。 益本 ユキミ(エキモト ユキミ) 1945/8/6
196 GE05-07 全身火傷で逃げる学徒たち 村上 美佐子(ムラカミ ミサコ) 1945/8/6 南大橋付近
197 GE05-09 被爆者収容所で父母の名を叫びながら息たえだえの学徒達 有木 絢子(アリキ アヤコ) 1945/8/11 舟入
198 GE05-10 負傷者を戸板にのせて助けだそうとする 上岡 豊一(ウエオカ トヨカズ) 1945/8/8 吉島飛行場付近
199 GE05-11 動員学徒の死体でいっぱいの土手や川、橋から我が子の名を呼ぶ母親 炭本 末子(スミモト スエコ) 1945/8/7 新大橋東詰
200 GE05-12 真黒こげの赤子の遺体をかかえて歩く母親 好井 博(ヨシイ ヒロシ) 1945/8/6 尾長町片河の自宅前

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