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トップページ原爆の絵種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)"

原爆の絵

種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)" で 836 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 SG-0295 倒壊した校舎の下敷になって亡くなった孫を見つけ、抱いて離さず泣きつめて、朝には共に亡くなっていた女性 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) 1945/8/7~8/10 広島市西部~可部間
162 SG-0285 倒壊した梁にはさまれた二人の男性。 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/6 東洋製罐株式会社
163 SG-0119 傷ついた我が子を抱いた重傷の母親と重傷の兵隊 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/6 牛田町より西方戸坂村に通じる土手
164 SG-0028 元安川付近 小尻 勉(コジリ ツトム) 元安川付近(元安橋)
165 SG-0081 元安川付近の焼け跡の様子 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 元安川 変電所付近
166 SG-0283 元安橋より広島県産業奨励館を望む 高増 径草(タカマス ケイソウ) 1945/9/9~9/10 元安橋より広島県産業奨励館を望む
167 SG-0457 元安橋より広島県産業奨励館を望む 高増 径草(タカマス ケイソウ) 1945/9/9~1945/9/10 元安橋西詰
168 SG-0445 兄と従兄を捜す、米軍機(偵察機)が旋回し低空飛行していた 横山 清(ヨコヤマ キヨシ) 1945/8/7~1945/8/8
169 SG-0697 兄の赤紙と父1 長兄の出征 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945年春
170 SG-0698 兄の赤紙と父2 即日帰郷 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945年春 西白島町 自宅
171 SG-0699 兄の赤紙と父3 父の思い 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1950年秋
172 SG-0448 兄を捜す、舟入の電車線路に並べられた負傷者 横山 清(ヨコヤマ キヨシ) 1945/8/9
173 SG-0418 全身火傷の兄に油を塗る 三山 甲子(ミヤマ カツコ) 1945/8/6 南大橋付近
174 SG-0112 八丁堀電車通り白島線の西北角陸軍と官公庁御用達のキショウドウ 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 八丁堀電車通り白島線
175 SG-0066 八月十五日に終戦となり早々軍の司令部へ 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/15
176 SG-0693 兵隊おばさん1 爆撃機「呑龍」 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1942/4/29 山陽本線 白島付近
177 SG-0694 兵隊おばさん2 常盤館 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1942年5月末頃 常盤館
178 SG-0695 兵隊おばさん3 軍神の母 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1942年頃
179 SG-0696 兵隊おばさん4 兵隊おばさん 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1942年(昭和17年)頃
180 SG-0640 兵隊さんにブドウ糖注射を打ってもらった 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 鯛尾収容所

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