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トップページ原爆の絵種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)"

原爆の絵

種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)" で 799 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 SG-0050-08 その明方(七日) 住吉橋西詰より 原 美味(ハラ ヨシミ)
62 SG-0244 たくさんの人の遺体 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽
63 SG-0249 たくさんの遺体が重ね、焼かれた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局工事宿直室
64 SG-0294 たずなを切って川に飛びこんだ練兵場の馬 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) 1945/8/8 広島市西部
65 SG-0586 はじめて法話を聞く 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1939頃 善福寺
66 SG-0011 ひどいヤケドで手の皮がワカメの様にぶらさがっていた友人の姿 大木 シズヱ(オオキ シズエ) 1945/8/6 広島市己斐町
67 SG-0287 ほとんど水の出ない壊れた水道から、水を飲もうとする女性と女の子 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/9頃 現在の平和大通り付近
68 SG-0248 まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前
69 SG-0169 みんな逃げて来る 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/6 出汐から皆実町に行く途中
70 SG-0390 やけどにきく水をもらう 山田 耕司(ヤマダ コウジ)
71 SG-0247 やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階宿直室
72 SG-0617 わずかばかり焼け残った服の柄で夫の遺体を見つけ、泣き叫ぶ女性 多田 キクエ(タダ キクエ) 1945/8/7 広島陸軍共済病院
73 SG-0260 アメリカ兵 壷井 進(ツボイ ススム) 1945/8/7 相生橋東詰
74 SG-0428 エブ(荷札)の認識票 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 安芸郡坂町鯛尾
75 SG-0497 ガラスでけがを負った満4歳の自分 横田 礼右(ヨコタ ヒロスケ) 1945/8/6 南観音町・防空壕
76 SG-0108 ガレ木の中。ご婦人が赤ちゃんをかばい上に覆いかぶさっていた。 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 西白島町(爆心地より1.3km)
77 SG-0443 キノコの様に煙が舞い上がった 横山 清(ヨコヤマ キヨシ) 1945/8/6
78 SG-0639 キリンビヤホールに並んで酒の配給を受けた 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1944~1945 キリンビヤホール
79 SG-0676 クツゲタ 1朝礼 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 被爆前 白島国民学校
80 SG-0677 クツゲタ 2クツゲタ 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 被爆前

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