トップページ原爆の絵種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)"
種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)" で 846 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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SG-0245 | 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局1階通路 |
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SG-0531 | 胸に穴があいた馬。死んだ母と子。馬にまたがったまま倒れて死んだ兵隊と軍夫。防火水槽に手をかけた黒焦げの死体 | 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) | 1945/8/8~9 | 西練兵場近くの川の堤防の上、逓信病院跡、横川 |
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SG-0681 | 自宅の風呂の中で、動物の骸骨を見つけた | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/9月上旬 | 大手町八丁目北組、自宅跡 |
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SG-0357 | 自宅焼け跡。復興の旗を立てる父。(小原一家原爆の絵連作2) | 小原 芳郎(オバラ ヨシロウ) | 1945/8 | |
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SG-0683 | 自転車に乗った遺体 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/9月末 | 加茂鶴酒場(三津石酒造) |
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SG-0622 | 興南寮 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945 | 興南寮 |
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SG-0214 | 舟入南の共和精機有限会社で被爆した | 横山 十三穂(ヨコヤマ トミホ) | ||
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SG-0207 | 色のない町 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7 | 広島駅プラットホーム |
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SG-0413 | 芸備銀行前。黒こげになった少年の遺体。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/7 | 芸備銀行前 |
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SG-0183 | 苦しみをそのままに | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/7 | 八丁堀付近 |
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SG-0008 | 草取りをしているときに見たむくむくと大きくなるかぼちゃみたいな形のもの。 これが今でいうピカドンだった。 | 金森 マツコ(カネモリ マツコ) | 1945/8/6 | 双三郡三和町 |
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SG-0242 | 荷台で亡くなった人と、背中に火傷を負って逃げ走る馬 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広瀬橋の手前の道 |
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SG-0235 | 薪のように遺体の置かれた収容所 | 沖原 八重(オキハラ ヤエ) | 小屋浦の収容所 | |
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SG-0233 | 血まみれの母親の遺体にすがりついて泣く赤ちゃん | 沖原 八重(オキハラ ヤエ) | 1945/8/6 | 宇品桟橋付近 |
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SG-0557 | 行方不明の母、妹、祖母、愛犬 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | ||
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SG-0171 | 被害報告書を出さねば | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 広島高等師範学校軍事教官室 |
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SG-0733 | 被災、火傷の後遺症 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1948 | |
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SG-0712 | 被災状況 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 南大橋東詰 |
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SG-0339 | 被爆から5日後、男性の遺体にウジ虫がわいている | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/10頃 | 鷹野橋交差点付近 |
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SG-0227 | 被爆した人々 | 恵下 計一郎(エゲ ケイイチロウ) |