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トップページ原爆の絵種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)"

原爆の絵

種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)" で 799 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
301 SG-0398 広島城の堀に浮いている食用カエルやレンコン 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/6 広島城の堀
302 SG-0073 被爆前、広島城のお堀の中ではハスの花が咲き、すべての生きものがたわむれていた 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 被爆直前 広島城お堀
303 SG-0247 やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階宿直室
304 SG-0249 たくさんの遺体が重ね、焼かれた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局工事宿直室
305 SG-0244 たくさんの人の遺体 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽
306 SG-0248 まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前
307 SG-0246 机の下に倒れていた人を助ける 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/7 広島中央電話局西分局3階事務室
308 SG-0245 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階通路
309 SG-0624 爆風で飛んできた石がはさまった墓石(広島)/原爆さく裂後の長崎市上空 坂部 勝利(サカベ カツトシ) 1946(広島)、1945/8/9(長崎)1946 広島:不明/長崎:大村市の自宅から見た長崎市上空
310 SG-0052 1946年5月15日私が広島駅から広島市内を見た光景 金 柄台(キム ビュンテ) 1946/5 広島
311 SG-0279 平田屋町付近。右手前の塔のある建物が下村時計店。 高増 径草(タカマス ケイソウ) 1945/9/9~9/10 平田屋町付近
312 SG-0124 焼け野原になった現在の平和大通りに行き場のない市民が建てた小屋 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 平和大通り
313 SG-0107 原爆死没者慰霊碑 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 平和公園
314 SG-0694 兵隊おばさん2 常盤館 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1942年5月末頃 常盤館
315 SG-0059 火だった師団司令部 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 師団司令部(中国軍管区司令部)付近
316 SG-0615 市役所前 たくさんの負傷者 多田 キクエ(タダ キクエ) 1945/8/7 市役所
317 SG-0354 山陽本線己斐駅 下関方面行 負傷者避難列車 神谷 一雄(コウヤ カズオ) 1945/8/11 己斐駅
318 SG-0300 己斐峠から見た市内の様子 上野 求(ウエノ モトム) 1945/8/6 己斐峠
319 SG-0009-7 被爆体験を描いたスケッチブック(7/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 己斐の山
320 SG-0209 川土手での救援救護活動。主に遺体処理作業。 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) 1945/8/8~1945/8/10 川土手

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