トップページ原爆の絵種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)"
種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)" で 799 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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641 | SG-0337 | 大手町国民学校校庭。朝礼中に被爆し、焼死した生徒たちに手を合わせる | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/7 | 大手町国民学校 | |
642 | SG-0344 | 広島陸軍病院江波分院。水を求めて蛇口を倒し、穴を掘る人。ほとんどの人が死んでいた。 | 神谷 一雄(コウヤ カズオ) | 1945/8/7 | 広島第一陸軍病院江波分院 | |
643 | SG-0345 | 広島市江波陸軍病院の外で治療を待つ火傷患者 | 神谷 一雄(コウヤ カズオ) | 1945/8/7 | ||
644 | SG-0347 | 江波町から見た広島市内の惨状 | 神谷 一雄(コウヤ カズオ) | 1945/8/7 | 広島市内 | |
645 | SG-0399 | 家の中から空のすごい煙をみた。空からは黒いものやトタンが落ちてきた。 | 上野 求(ウエノ モトム) | 1945/8/7 | 久地村 | |
646 | SG-0413 | 芸備銀行前。黒こげになった少年の遺体。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/7 | 芸備銀行前 | |
647 | SG-0414 | 大火傷で苦しむ父を大八車にのせ、姉と二人で運ぶ | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/7 | ||
648 | SG-0421 | 御幸橋東詰で「罹災証明書」を渡す警察官 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 御幸橋東詰 | |
649 | SG-0422 | 御幸橋から市中心街を眺める。「あれが福屋、中国新聞あたりか?」 廃虚と化した街は、まだあちこちが火災に包まれていた | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
650 | SG-0423 | 鷹野橋付近。水を求める人々。水を求められても、自身も水を持っておらず、どうすることもできなかった | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 鷹野橋 | |
651 | SG-0424 | 鷹野橋付近。トラックに遺体を乗せていく暁部隊の兵士 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 鷹野橋 | |
652 | SG-0425 | 鷹野橋、臨時救護所。「大竹応援隊」「廿日市応援隊」などの腕章もみられる。おむすびなどを手渡していたが、ほとんどの負傷者は喉を通らない様子だった | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 鷹野橋 | |
653 | SG-0426 | 明治橋近くの階段で亡くなっていた子ども。どうすることもできず、ただ手を合わせることしかできなかった | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 明治橋付近 | |
654 | SG-0430 | 負傷した少年の叫び | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/7 | 鯛尾収容所 | |
655 | SG-0455 | 広島赤十字病院入り口付近。傷ついた人たちが治療を受けるために待っていた。その中に、お腹に車掌カバンのようなものを身に着けた一人の女性が寝かされていた。自分たちが広島赤十字病院を出たときには、その女性はもういなかった。 | 新田 臺吉(ニッタ ダイキチ) | 1945/8/7 | 広島赤十字病院入り口付近 | |
656 | SG-0479 | 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」担架で運ばれる | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) | 1945/8/7 | ||
657 | SG-0498 | 逃げ惑う被爆者 | 横田 礼右(ヨコタ ヒロスケ) | 1945/8/7 | 南観音町 | |
658 | SG-0505 | 一夜明けて | 横田 礼右(ヨコタ ヒロスケ) | 1945/8/7 | 南観音町 | |
659 | SG-0524 | 8月7日の夜 | 宅明 香澄(タクミョウ カスミ) | 1945/8/7 | ||
660 | SG-0527 | 死体で埋まった横川橋のたもと。すさまじい臭いがする。 | 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) | 1945/8/7 | 横川橋北東 |