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トップページ原爆の絵種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)"

原爆の絵

種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)" で 799 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
381 SG-0619 防空壕へ患者たちを避難させる 多田 キクエ(タダ キクエ) 1945/8 広島陸軍共済病院
382 SG-0338 広島市役所付近での遺体回収 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/10 広島市役所付近
383 SG-0449 飲まず食わずで戸坂駅まで歩く 横山 清(ヨコヤマ キヨシ) 1945/8/10 戸坂駅
384 SG-0007 戸坂小学校の校庭には被爆者が沢山むしろの上に並んで居た 小早川 浅蔵(コバヤカワ) 1945/8/10頃 戸坂小学校
385 SG-0339 被爆から5日後、男性の遺体にウジ虫がわいている 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/10頃 鷹野橋交差点付近
386 SG-0222 広島原爆救援活動の帰り。福山駅は、空襲で火の海。その中を強行突破。 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) 1945/8/11 福山駅
387 SG-0354 山陽本線己斐駅 下関方面行 負傷者避難列車 神谷 一雄(コウヤ カズオ) 1945/8/11 己斐駅
388 SG-0220 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。豊さんは防衛招集を受け、(後半省略) 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校
389 SG-0297 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校講堂
390 SG-0535 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校講堂
391 SG-0454 胡瓜で治療 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/13 小屋浦海水浴場収容所
392 SG-0066 八月十五日に終戦となり早々軍の司令部へ 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/15
393 SG-0067 終戦の日を陸軍病院でむかえる 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/15
394 SG-0091 陸軍病院で八月十五日終戦となる 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/15
395 SG-0481 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」地獄に仏 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/15 坂駅前
396 SG-0723 ピカにやられた英雄ちゃん3 あの日 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/15 国鉄坂駅前
397 SG-0433 看護にきた婦人会のお姉さんにボタモチをもらう 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/16~17 小屋浦海水浴場収容所
398 SG-0013 収容所(三滝町) 小尻 勉(コジリ ツトム) 1945/8/20頃 三滝町
399 SG-0290 焼け跡にぼう然と立ち尽くす弟妹 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/20頃 河原町
400 SG-0451 徴用解除となり、郷里に帰る 横山 清(ヨコヤマ キヨシ) 1945/8/24

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