トップページ原爆の絵種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)"
種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)" で 836 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1 | SG-0417 | 明治橋の近くで負傷した母と兄嫁に再会。頬が割れた兄嫁にタオルを渡す | 三山 甲子(ミヤマ カツコ) | 1945/8/6 | ||
2 | SG-0418 | 全身火傷の兄に油を塗る | 三山 甲子(ミヤマ カツコ) | 1945/8/6 | 南大橋付近 | |
3 | SG-0601 | 水を求めて田んぼに首を突っ込んだまま亡くなった人々 | 上竹 茂夫(ウエタケ シゲオ) | 1945/8/6 | 三滝 | |
4 | SG-0660 | 水を求めて田んぼに首を突っ込んだまま亡くなった人々、助けを求める人々 | 上竹 茂夫(ウエタケ シゲオ) | 1945/8/6 | 三滝 | |
5 | SG-0661 | 三滝分院裏山の防空壕に避難した兵隊(患者)たち | 上竹 茂夫(ウエタケ シゲオ) | 1945/8/6 | 広島第二陸軍病院裏山 防空壕 | |
6 | SG-0403 | 百人くらいの避難所で、皮をむかれ、白魚を並べたように、苦しみ続けている負傷者。焼けただれた男性が「その帯剱で殺してくれ」といって足に抱きついて離さない。 | 上里 四九郎(アガリ シクロウ) | 1945/8/6 | 三滝の竹藪 | |
7 | SG-0300 | 己斐峠から見た市内の様子 | 上野 求(ウエノ モトム) | 1945/8/6 | 己斐峠 | |
8 | SG-0332 | 1945(昭和20)年8月6日午前8時20分頃の光景 | 上野 求(ウエノ モトム) | 1945/8/6 | 三菱重工業の工場 | |
9 | SG-0399 | 家の中から空のすごい煙をみた。空からは黒いものやトタンが落ちてきた。 | 上野 求(ウエノ モトム) | 1945/8/7 | 久地村 | |
10 | SG-0700 | 立ち上るキノコ雲 | 下村 喬(シモムラ タカシ) | 1945/8/6 | 呉(海軍基地) | |
11 | SG-0419 | 被爆直後の広島逓信講習所 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/6 | 宇品町 広島逓信講習所 | |
12 | SG-0420 | 5分前までいた廊下で被爆していたら無事ではすまなかっただろう | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/6 | 宇品町 広島逓信講習所 | |
13 | SG-0421 | 御幸橋東詰で「罹災証明書」を渡す警察官 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 御幸橋東詰 | |
14 | SG-0422 | 御幸橋から市中心街を眺める。「あれが福屋、中国新聞あたりか?」 廃虚と化した街は、まだあちこちが火災に包まれていた | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
15 | SG-0423 | 鷹野橋付近。水を求める人々。水を求められても、自身も水を持っておらず、どうすることもできなかった | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 鷹野橋 | |
16 | SG-0424 | 鷹野橋付近。トラックに遺体を乗せていく暁部隊の兵士 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 鷹野橋 | |
17 | SG-0425 | 鷹野橋、臨時救護所。「大竹応援隊」「廿日市応援隊」などの腕章もみられる。おむすびなどを手渡していたが、ほとんどの負傷者は喉を通らない様子だった | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 鷹野橋 | |
18 | SG-0426 | 明治橋近くの階段で亡くなっていた子ども。どうすることもできず、ただ手を合わせることしかできなかった | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 明治橋付近 | |
19 | SG-0217 | 爆心地に立って西方を見る | 仲根 鉄郎(ナカネ テツロウ) | 爆心地 | ||
20 | SG-0573 | 被爆の翌日、元安川下流で、原爆に焼かれ背びれを失いながら泳ぐフナ | 佐野 博敏(サノ ヒロトシ) | 1945/8/7 | 元安川下流(千田町付近) |