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トップページ原爆の絵種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)"

原爆の絵

種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)" で 799 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1 SG-0417 明治橋の近くで負傷した母と兄嫁に再会。頬が割れた兄嫁にタオルを渡す 三山 甲子(ミヤマ カツコ) 1945/8/6
2 SG-0418 全身火傷の兄に油を塗る 三山 甲子(ミヤマ カツコ) 1945/8/6 南大橋付近
3 SG-0601 水を求めて田んぼに首を突っ込んだまま亡くなった人々 上竹 茂夫(ウエタケ シゲオ) 1945/8/6 三滝
4 SG-0660 水を求めて田んぼに首を突っ込んだまま亡くなった人々、助けを求める人々 上竹 茂夫(ウエタケ シゲオ) 1945/8/6 三滝
5 SG-0661 三滝分院裏山の防空壕に避難した兵隊(患者)たち 上竹 茂夫(ウエタケ シゲオ) 1945/8/6 広島第二陸軍病院裏山 防空壕
6 SG-0403 百人くらいの避難所で、皮をむかれ、白魚を並べたように、苦しみ続けている負傷者。焼けただれた男性が「その帯剱で殺してくれ」といって足に抱きついて離さない。 上里 四九郎(アガリ シクロウ) 1945/8/6 三滝の竹藪
7 SG-0300 己斐峠から見た市内の様子 上野 求(ウエノ モトム) 1945/8/6 己斐峠
8 SG-0332 1945(昭和20)年8月6日午前8時20分頃の光景 上野 求(ウエノ モトム) 1945/8/6 三菱重工業の工場
9 SG-0399 家の中から空のすごい煙をみた。空からは黒いものやトタンが落ちてきた。 上野 求(ウエノ モトム) 1945/8/7 久地村
10 SG-0700 立ち上るキノコ雲 下村 喬(シモムラ タカシ) 1945/8/6 呉(海軍基地)
11 SG-0419 被爆直後の広島逓信講習所 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/6 宇品町 広島逓信講習所
12 SG-0420 5分前までいた廊下で被爆していたら無事ではすまなかっただろう 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/6 宇品町 広島逓信講習所
13 SG-0421 御幸橋東詰で「罹災証明書」を渡す警察官 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 御幸橋東詰
14 SG-0422 御幸橋から市中心街を眺める。「あれが福屋、中国新聞あたりか?」 廃虚と化した街は、まだあちこちが火災に包まれていた 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 御幸橋
15 SG-0423 鷹野橋付近。水を求める人々。水を求められても、自身も水を持っておらず、どうすることもできなかった 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 鷹野橋
16 SG-0424 鷹野橋付近。トラックに遺体を乗せていく暁部隊の兵士 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 鷹野橋
17 SG-0425 鷹野橋、臨時救護所。「大竹応援隊」「廿日市応援隊」などの腕章もみられる。おむすびなどを手渡していたが、ほとんどの負傷者は喉を通らない様子だった 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 鷹野橋
18 SG-0426 明治橋近くの階段で亡くなっていた子ども。どうすることもできず、ただ手を合わせることしかできなかった 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 明治橋付近
19 SG-0217 爆心地に立って西方を見る 仲根 鉄郎(ナカネ テツロウ) 爆心地
20 SG-0573 被爆の翌日、元安川下流で、原爆に焼かれ背びれを失いながら泳ぐフナ 佐野 博敏(サノ ヒロトシ) 1945/8/7 元安川下流(千田町付近)

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