トップページ原爆の絵種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)"
種別 "新市民が描いた原爆の絵(その他)" で 799 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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341 | SG-0243 | 火に追われ川へ落ちる人々。焼け落ちる家。 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 天満川の土堤 | |
342 | SG-0244 | たくさんの人の遺体 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽 | |
343 | SG-0245 | 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局1階通路 | |
344 | SG-0246 | 机の下に倒れていた人を助ける | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/7 | 広島中央電話局西分局3階事務室 | |
345 | SG-0247 | やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局1階宿直室 | |
346 | SG-0248 | まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局前 | |
347 | SG-0249 | たくさんの遺体が重ね、焼かれた | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局工事宿直室 | |
348 | SG-0250 | 広島駅で午前8時15分原爆閃光を逆光で見た。 | 吉村 紫朗(ヨシムラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島駅ホーム | |
349 | SG-0251 | 米軍捕虜 | 加藤 譲(カトウ ユズル)、武内 五郎(タケウチ ゴロウ) | 1945/8/6 | 相生橋東詰付近 | |
350 | SG-0252 | 米軍捕虜 | 加藤 譲(カトウ ユズル)、武内 五郎(タケウチ ゴロウ) | 1945/8/6 | 相生橋中央付近 | |
351 | SG-0253 | 米軍捕虜 | 加藤 譲(カトウ ユズル)、武内 五郎(タケウチ ゴロウ) | 1945/8/8 | 相生橋東詰付近 | |
352 | SG-0254 | 「№1 ひろしま惨禍」 相生橋の上で息絶えていた赤ん坊。女学生の遺体。牛の死体。 | 宮川 啓五(ミヤガワ ケイゴ) | 1945/8/9 | 相生橋 | |
353 | SG-0255 | 「№2 ひろしま惨禍」 瓦礫。負傷者。遺体。 | 宮川 啓五(ミヤガワ ケイゴ) | |||
354 | SG-0256 | 「№3 ひろしま惨禍」 大やけどを負って瀕死の女学生。無数の負傷者、遺体。仏の救い。 | 宮川 啓五(ミヤガワ ケイゴ) | |||
355 | SG-0257 | 水を求め、亡くなった人 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/6 | 住吉橋の上 | |
356 | SG-0258 | 母の死 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 天神町自宅 | |
357 | SG-0259 | 母と子の焼死体 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 原爆ドームの南側 | |
358 | SG-0260 | アメリカ兵 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 相生橋東詰 | |
359 | SG-0261 | 枯れた稲 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 牛田町 | |
360 | SG-0262 | 大けがを負った弟妹 | 深田 ヨシ子(フカダ ヨシコ) | 1945/8/6 | 東蟹屋町の自宅 |