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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 NG010 赤黒く焼けた電車と兵隊に水をもらう少年 沖山 正実(オキヤマ マサミ) 1945/8/6 西練兵場東側、白島線沿い
162 NG353-01 赤黒くなった30歳くらいの女性の顔にウジが数匹いたがどうしてあげることもできなかった。 西村 正巳(ニシムラ マサミ) 大野西国民学校(と思われる)
163 NG469-01 赤ん坊を背負った婦人が真っ黒な死体の中から皮ベルトを目印に夫を見つける。 小笠原 昭道(オガサワラ ショウドウ) 1945/8/8 住吉神社境内
164 NG433-03 赤ん坊を抱いた母親の真っ黒焦げの死体があった。赤ん坊の頭をそっとなでると灰になった。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/7 南大橋付近
165 NG344-03 赤ん坊がお腹が空いているのか泣いているが母親は虫の息でどうすることもできない。 渡邊 昭三(ワタナベ ショウゾウ) 1945/8/7 広島赤十字病院
166 NG401-02 赤い火の玉が落ちてきて火事だと思った瞬間ドンという大きな音がしてあたりは真っ暗になった。 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) 1945/8/6 広島鉄道局印刷場
167 NG138-01 負傷者を収容した仮救護所ののテント。毎日のように二人三人と息絶えて運び出されていた。 椋 忠六(ムク チュウロク) 1945/8/13
168 NG276-02 負傷者を乗せて宇品方面に向かうトラック。みな荷台に立った状態で裸のようだった。 瀧川 ヤスコ(タキガワ ヤスコ) 1945/8/6 千田町の電車通り
169 NG420 負傷者を乗せた馬車が家の前の道を大朝方面に向かって行く光景をその夏何度も目にした。 佐藤 教(サトウ オシエ) 山県郡川迫村上川戸の自宅前
170 NG361 負傷者を乗せた列車が走っていた。熱線を受けた人は体の一方向だけが黒こげになっていた。 松岡 清徹(マツオカ セイテツ) 1945/8/6 呉線沿線
171 NG440-02 負傷者を乗せたトラックが宇品方面に向かっていた。死者を大八車に乗せ縮景園に運び火葬した。 志田 敏衛(シダ トシエ) 1945/8/6~8/20頃 縮景園付近
172 NG066 負傷者はみな帽子をかぶっていた部分だけ残して髪の毛は焼けていた。焼けただれた肌にはウジがわいた。 古本 徳夫(フルモト トクオ) 三入国民学校
173 NG315-01 負傷者の収容場所となった長寿園。水を求める人に鉄かぶとで川から水を汲み飲ませる。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/6 長寿園
174 NG088-09 負傷者に水を与える兵隊。頭に包帯をして病室から水を飲みに来る人。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/8 広島陸軍兵器補給廠
175 NG355 負傷者で橋はいっぱいだった。その中で助けを求める中年の女性の姿と叫び声が忘れられない。 加藤 久男(カトウ ヒサオ) 1945/8/6 住吉橋
176 NG236-02 負傷者であふれた救護所。この惨状の中で出産というできごともあり、懸命にその世話をした。 知久 喜代野(チク キヨノ) 青崎国民学校
177 NG193-01 負傷者がいっぱいで、やけどでふくれ、皮膚がたれさがっていた。みな水を求めて倒れていった。 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) 1945/8/6 仁保町
178 NG043 負傷し、逃れてくる多くの人々。全身に血を浴び、あごに空き缶をぶら下げ、歩いていた2人。 森瀧 澄香(モリタキ スミカ) 1945/8/7 備後十日市駅(現在の三次駅)
179 NG103-05 負傷して庄原に運ばれる途中の駅で偶然叔母と再会した少年兵。トマトを食べたがったがそのまま亡くなった。 内田 栄一(ウチダ エイイチ) 1945/8/8 芸備線庄原駅の2、3手前の駅
180 NG097-02 負傷した肉親を戸板に乗せて励ましながら家に運ぶ人たち。土手には死体を集めて火葬する炎が見えた。 村中 淑子(ムラナカ トシコ) 府中

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