トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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121 | NG343-02 | 遺体は道路に並べられ肉親・知人に引き取られるのを待った。 | 竹内 勇(タケウチ イサム) | |||
122 | NG343-04 | 遺体は腐敗が始まったのでやむなく火葬し、氏名、性別、特徴等をできるだけ正確に記入し公表した。 | 竹内 勇(タケウチ イサム) | |||
123 | NG358-08 | 遺体の運搬を手伝う。道の横に松丸太を並べて遺体を置き松の枯枝をおおって火葬していた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 比治山神社の参道 | ||
124 | NG363 | 遠縁の家に避難する途中、紙屋町交差点付近では、警防団の人が死体を集めて火葬していた。 | 横田 勝(ヨコタ マサル) | 1945/8/8 | 紙屋町 | |
125 | NG358-01 | 遠くで火の手が上がっていた。けがをした人が川土手の方へ歩いて避難していた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/6 | 東洋製罐広島工場近くの川土手 | |
126 | NG333-03 | 道路や船着場の石段に座り込む多数の負傷者。黒く焼けただれた肌から赤身が見えている。 | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/6 | 大手町九丁目の魚市場荷揚場 | |
127 | NG448-01 | 道路や川の中の真っ黒な死体、路面電車、欄干のなくなった橋 | 飯田 康雄(イイダ ヤスオ) | 1945/8/7 | ||
128 | NG314-16 | 道路まで女性を運ぶのを手伝う。校舎に火がまわる前に逃げてきたが外に出る直前に動けなくなったらしい。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 広島文理科大学 | |
129 | NG304-10 | 道路にはやけどで生死もわからない人が無数に横たわっていた。全身やけどで死直前の警察官が歩いていた。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/8 | 御幸橋付近 | |
130 | NG472-02 | 道端に横たわる黒い死体と瓦れきの街 | 右近 明敏(ウコン アキトシ) | 1945/8/7 | 中島本町 | |
131 | NG013-15 | 道端に倒れて水を求める人々、焼けた路面電車。 | 高本 正義(タカモト マサヨシ) | |||
132 | NG197-02 | 道端にいる負傷者を木炭自動車で青崎国民学校へ運ぶ。土ぼこりをかぶり目だけが異様に光っていた。 | 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) | 1945/8/6 | 大洲橋東詰め | |
133 | NG265 | 道端にある防空ごうに黒焦げになった死体を見た。腹帯をしていて妊婦のようだった。 | 中澤 彪(ナカザワ タケシ) | 1945/8/8 | ||
134 | NG164-06 | 道なき道、倒壊した家の間を負傷者を背負い1時間くらいかかって歩く。 | 久井 一章(クイ カズアキ) | |||
135 | NG304-05 | 運動場にスズメが一羽落ち、学校の塀が何十mにも渡り同じ方向に倒れていた。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島逓信講習所 | |
136 | NG304-02 | 運動場から旋回するB29を見る。誰かが「B29が何かを落とした。」と叫んだ。しかし私には何も見えなかった。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島逓信講習所 | |
137 | NG069-15 | 連隊より解散命令が出たので列車で故郷に帰る。列車からは農家で被災者を看病する様子が多く見られた。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/13 | ||
138 | NG183-18 | 逃げていく途中、一人の兵隊さんが、誰か誰か水を下さいと叫んでいた。目や腕をやられ血だらけだった。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/6 | 舟入病院付近 | |
139 | NG019-05 | 追憶(ドーム火災) | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 広島県産業奨励館 | ||
140 | NG401-03 | 近所の子と出会う。おかあさんは?と聞いてもみないないと言って泣くばかりだった。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | 1945/8/6 |