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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
101 NG457-01 金輪島から見たきのこ雲 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) 1945/8/6 金輪島
102 NG019-14 金座街より京極方面 小尻 勉(コジリ ツトム) 金座街より京極方面
103 NG292-02-12 野宿するためにプールの草むらに座り込む。負傷者が泣き叫ぶ光景に一緒にいた近所の人は去っていった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(プール)
104 NG292-01-24 重湯を飲ませてやれと言われたが、私が受け持った兵隊はどこに口があるのかもわからなかった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 似島検疫所
105 NG292-02-18 重湯を飲ませてやれと言われたが、やけどで兵隊さんの口がどこにあるのかもわからなかった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 似島検疫所
106 NG002-07-02 重傷者を可部まで送るためにトラックに運ぶ。目も鼻もなく口だけ開けて「水をくれー」と叫ぶ負傷者 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) 1945/8/7~8/9
107 NG002-07-01 重傷者を可部まで送るためにトラックに運ぶ。目も鼻もなく口だけ開けて「水をくれー」と叫ぶ負傷者 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) 1945/8/7~8/9
108 NG054-04 重傷で水を求める人。水をあげたがまともに飲むことができず、数時間後に亡くなった。 江角 隆雄(エスミ タカオ) 1945/8/6 広島鉄道局第二機関区
109 NG164-02 重い木材の下敷きになり、必死に蹴り上げて起き上がろうとする馬。その足元には人の顔や腕が見えた。 久井 一章(クイ カズアキ)
110 NG158-03 酒屋の店にあったビール、ラムネの瓶。原爆の火災等で瓶の頭部が溶けたものと思われる。 山岡 崇義(ヤマオカ タカヨシ) 1945/8 平塚町あたり
111 NG267-07 部隊の兵舎が仮設の救護所となり、多数の負傷者がトラックや担架で運ばれてきた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(仮設救護所)
112 NG024-22 郊外の救護所でやわらかい布団に寝かせてもらい、地元の婦人会の人から手厚い看護を受ける。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/10以降 山内西国民学校
113 NG477-03 郊外に避難する負傷者、衣服はボロボロで、両腕は皮膚が肉から離れ、手袋をぶら下げているようだった。 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) 1945/8/6 三篠川の土手
114 NG401-06 避難所を変わることになりトラックに乗り府中国民学校に行った。たくさんの負傷者でいっぱいだった。 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) 府中国民学校
115 NG266-03 避難場所をめざして歩くが、空腹とのどの渇きで苦しかった。母が畑からトマトをもぎ食べさせてくれた。 煙上 博隆(エンジョウ ヒロタカ) 1945/8/6
116 NG266-04 避難場所の寺の境内とお堂の大広間にはすでに大勢の被災者でいっぱいで息苦しさが漂っていた。 煙上 博隆(エンジョウ ヒロタカ) 1945/8/6 専念寺(安芸中野駅近く)
117 NG427-01 避難場所に指定されていた祇園の青年学校を目指して逃げる。皆焼けただれ目玉が飛び出ている女性もいた。 櫻井 賢三(サクライ ケンソウ) 1945/8/6 楠木町通り
118 NG459 避難のために船に乗り込む。周りには数多くの死体が漂っていた。 山田 ミサ子(ヤマダ ミサコ) 1945/8/10頃 本川橋西詰
119 NG094-03 避難する負傷者、母子、長寿園付近の死体、脱線した貨車、馬の死体、市内で肉親を捜す人々。 津村 明正(ツムラ アキマサ) 1945/8/6~8/8 牛田町、基町、工兵橋~長寿園、相生橋、大須賀町
120 NG391-04 避難する人はみな白島方面に向かっていた。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町

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