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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
81 NG072-02 防火用水槽の中で5人の中学生が座ったままの格好で亡くなっていた。まだあどけなく1年生と思われた。 壷井 進(ツボイ ススム) 1945/8/7 天神町南、津田産婦人科医院前
82 NG202-05 防火用水槽では十数人が折り重なっていた。幼児を胸に抱いて母親が絶命していた。 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) 1945/8/6 宇品一丁目
83 NG263-06 防火用水槽が焼け跡に並んでいた。その後ろにはそれぞれ家が建っていたのに何もなく瓦礫のみだった。 加川 宏(カガワ ヒロシ)
84 NG175-01 防火用水槽から水をくみ、水を求める人に飲ませてあげようとしたが止められた。 石田 民生(イシダ タミオ) 広島陸軍被服支廠
85 NG047-03 防火用水、防火バケツ、灯火管制用の暗幕など。防火用水槽のまわりの放射状の死体。 國貞 勇(クニサダ  イサム)
86 NG181-01 閃光直後のきのこ雲。数秒後巨大なきのこ雲に成長する。 妙見 法彦(ミョウケン ノリヒコ) 1945/8/6 三菱重工業広島造船所正門前
87 NG124-01 閃光の後一瞬で地獄と化した街。建物は倒れ火災が発生した。両親は大けがをし弟は行方不明のままである。 竹中 宝(タケナカ タカラ) 1945/8/6 東観音町一丁目の自宅
88 NG035-01 閃光により、わらぶき屋根の屋内のいろりのすすで暗い所が一瞬にして明るくなり驚く。 甲田 敏春(コウダ トシハル) 1945/8/6 安芸郡福木村
89 NG239-03 閃光と爆風が止むと同時に県立広島第二中学校の3棟の2階建て校舎はほとんど全壊した。 和田 耕治(ワダ コウジ) 1945/8/6 県立広島第二中学校
90 NG239-02 閃光と爆風が止むと同時に県立広島第二中学校の3棟の2階建て校舎はほとんど全壊した。 和田 耕治(ワダ コウジ) 1945/8/6 県立広島第二中学校
91 NG042-02 閃光で目が見えなくなった人、疎開から帰った子どもの母親との再会、担架で負傷者を運ぶ人。 山本 泰正(ヤマモト ヤスマサ) 被爆後5、6日(1945/8/10~8/11)
92 NG029-02 門を出てボロを着た人に驚いたが、それは服ではなく、皮膚がむけて垂れ下がっているのだと気がつく。 田中 富安(タナカ トミヤス) 1945/8/6 第二総軍司令部
93 NG292-01-36 長崎方面から列車が着いた。広島で見たのと同じ焼けただれた負傷者で列車はあふれんばかりだった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/9
94 NG292-01-35 長崎に帰る途中汽車を待っていると話すとおばさんは娘さんが持っていた大きな桃を姉と私に分けてくれた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 下関駅
95 NG398 鍋に川の水を運んでわかしていた。「水をください。」という人に鍋の湯をさましては飲ませてあげた。 根本 小夜子(ネモト サヨコ) 1945/8/6 縮景園近く
96 NG312 鋭い閃光と大きな爆発音に外に飛び出すと西の空はるかに2つの旗がゆらりゆらりと漂い流れていった。 児玉 時春(コダマ トシハル) 1945/8/6 広島県立農事試験場
97 NG002-05 鉄骨だけが残った陸軍病院の内部、ベットの上に並ぶ黒焦げの焼死体 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) 1945/8/7~8/9 陸軍病院
98 NG001-03 鉄橋で脱線し燃える貨物列車、川の中を流れる人々 寺岡 美樹(テラオカ ヨシキ) 1945/8/6 山陽本線神田川鉄橋
99 NG203-01 鉄橋では貨物列車が横転しており枕木がところどころで燃えていた。 持田 久一(モチダ ヒサイチ) 1945/8/6 山陽本線神田川鉄橋
100 NG358-10 鉄橋がこわれたため天満川ははしけ舟で人々を運び路面電車と連絡した。そこには闇市ができにぎわった。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 天満町電車専用橋

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