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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 NG036 陸軍船舶練習部より見たきのこ雲 東 進(ヒガシ ススム) 1945/8/6 陸軍船舶練習部
62 NG202-03 陸軍船舶司令部前の桟橋には人々が折り重なって倒れ救援の船を待っていた。 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
63 NG076-02 陸軍潜水艇ゆ艇。これに乗って広島湾で演習中にきのこ雲を見る。 鈴木 旭(スズキ アキラ) 1945/8/6 広島港
64 NG040-05 陸軍幼年学校の校庭に生存者を収容する。傷の状態により軽傷者より宇品へ搬送する。死者は付近に集積。 貞森 幹夫(サダモリ ミキオ) 1945/8/8~ 広島陸軍幼年学校
65 NG436-03 防空頭巾をつけたまま空のB29爆撃機を見ているところで原爆の熱線を直接に浴びた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 鶴見町
66 NG399-01 防空ごうの入口で目を開けたまま死んでいる男の子。 河野 しのぶ(カワノ シノブ)
67 NG230-04 防空ごうの中は人々のうめき声で満ちていた。山の斜面に寝た。背中の傷に砂が食い込んだ。 平野 貞男(ヒラノ サダオ) 1945/8/6 比治山
68 NG446-02 防空ごうの中の死体、ごうの外で死んでいた名札をつけた男の子、死んだ母親の乳をほしがる赤ん坊。 川﨑 眞智子(カワサキ マチコ) 1945/8/6、8/7 大手町
69 NG088-12 防空ごうの中に避難しそのまま死んだ人。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/9 広島市内
70 NG358-05 防空ごうの上に頭蓋骨が大きさをそろえてきれいに並べられていた。そっと手を合せた。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/10~8/11 本川国民学校近く
71 NG462-02 防火用水槽の水を飲もうとする大やけどを負った人。 児玉 宇多子(コダマ ウタコ) 1945/8/6 青崎一丁目の国道沿いの防火用水槽
72 NG426-02 防火用水槽の死体。新しい服装でたぶん警防団のひとだと思う。体がふくらんで皆下を向いて死んでいた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 白神社境内
73 NG204-03 防火用水槽の女性の死体。白髪まじりの長い髪は水にゆらぎ水面から出ている背中は赤銅色に焼けていた。 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) 1945/8/7 白島線の一筋東側の道路
74 NG469-02 防火用水槽の中の親子の死体 小笠原 昭道(オガサワラ ショウドウ)
75 NG110-02 防火用水槽の中の死体。 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル)
76 NG482 防火用水槽の中に頭を突っ込んで亡くなっている人。 青木 尊美(アオキ タカミ) 1945/8/8 横川付近
77 NG072-01 防火用水槽の中に行儀よく座ったままの姿で亡くなっていた中学生たち。 壷井 進(ツボイ ススム) 1945/8/7 野坂歯科医院前
78 NG165-06 防火用水槽の中に真っ黒になった遺体が数体。周囲にも2、3体あった。市内には火葬の煙りが上がっていた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 相生橋西側
79 NG228 防火用水槽の中にいる女性に「助けてー家へ連れて帰ってー」と助けを求められた。 高田 智與子(タカタ チヨコ) 1945/8/6 日本銀行広島支店前
80 NG223-02 防火用水槽の中で亡くなっていた人。静寂の中、その冥福を祈りつつ家路に向った。 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) 1945/8/8 常葉橋(常盤橋)付近

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