トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | NG319-01 | 頭のてっぺんからかかとの先までやけどした弟。「アツイ…水…」とそれだけを繰り返して亡くなった。 | 今浦 瑛子(イマウラ エイコ) | 1945/8/6 | 尾長国民学校 | |
42 | NG032 | 頭がかゆくて一睡もできないと訴える男性。腫れた部分からウジが何十、何百と落ちてきた。 | 正木 鏡子(マサキ キョウコ) | 1945/8/8頃 | 小方国民学校 | |
43 | NG071-05 | 鞍の部分をのぞいて全身火傷した馬。白木の箱に入れた遺骨を首から下げて行く人。 | 長見 英希(ナガミ ヒデキ) | 1945/8/8 | 広島逓信局前 | |
44 | NG270-02 | 青竹の爆心地側は熱線で焼けていた。女性が子どもを連れて食べ物を探し歩いていた。 | 吉村 貞人(ヨシムラ サダト) | 1945/8/16頃 | 饒津神社付近 | |
45 | NG325-04 | 青空には東南東から朝日を受けて白く美しく形のよいきのこ雲がくっきりと浮かんでいた。 | 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) | 1945/8/6 | 大原神社付近 | |
46 | NG024-07 | 青白い閃光の後、大きな音がした。廊下に出て見ると、灰色の空に大きなきのこ雲が上っていた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/6 | 広海軍工廠 | |
47 | NG248 | 青い空に真っ白な雲のかたまりが浮かんでいた。かたまりはしだいに形がくずれ黒くなった。 | 後藤 雅子(ゴトウ マサコ) | 1945/8/6 | 光善坊 | |
48 | NG223-01 | 電車通りを避難する人々。ショックで口を閉ざし手の先からはやけどの皮膚がたれさがっていた。 | 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) | 1945/8/6 | 千田町三丁目 | |
49 | NG002-10 | 電車通りに散乱する大きな看板や自転車。脱線した路面電車の中は死体でいっぱいだった。 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
50 | NG425 | 電車通りにトタン屋根で作られた応急の救護所。顔も体も赤黒く皆同じように見えた。 | 山中 雅夫(ヤマナカ マサオ) | 1945/8/10 | 土橋から江波に向かう電車通り | |
51 | NG475 | 電車軌道上の仮設の救護所に収容された人々。水も食料も医薬品もなく悲惨な状態だった。 | 鈴木 半三(スズキ ハンゾウ) | |||
52 | NG452 | 電線に宙吊りになった死体、電車の窓から顔を出し死んでいたたくさんの人たち | 小田 豊巳(オダ トヨミ) | 1945/8/6 | 広島駅前 | |
53 | NG044-12 | 電線がショートしたような青白い閃光 | 清水 正明(シミズ マサアキ) | |||
54 | NG235 | 電灯の下、救護活動の兵隊に水を求める負傷者たち。薬は赤チンとリバノール液しかなかった。 | 平野 鈆三(ヒラノ ショウゾウ) | 1945/8/8 | 陸軍病院疎開先の被災者収容所 | |
55 | NG400-05 | 電気がついたと思い近寄って見ると電柱の先が炭火のようになって点灯しているように見えたのだった。 | 匿名 | 1945/8/8~8/9 | 袋町国民学校 | |
56 | NG069-04 | 電柱がまだくすぶり続け煙りが出ていた。がれきの山、盛り上がった所などが熱っぽく感じた。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/10 | ||
57 | NG076-01 | 雲一つない青空に真白くキノコ型の雲が高く高く吹き上げられて広がっていった。 | 鈴木 旭(スズキ アキラ) | 1945/8/6 | 広島港 | |
58 | NG183-14 | 隣のベッドのおじさんに助けを求められるが、大きな棟木が上にあってどうしようもなかった。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/6 | 舟入病院 | |
59 | NG096-01 | 隣のご主人が顔も足も赤茶色に腫れ上がり、見えない目でよろめきながら帰ってきた。 | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/6 | 仁保町 | |
60 | NG336-01 | 障子が真っ黄色になったのを部屋の中から見る。「あらっ」と思った時ドーンという音がした。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 |