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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
181 NG024-27 負傷した患者を畳に乗せて運ぶ。腫れあがった腕の時計をはずしてくれと頼まれたがどうしても取れなかった。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/14 広島逓信病院
182 NG294 負傷した多くの人が徒歩やトラックで市内から海田方面に向かっていた。 森矢 光儀(モリヤ ミツギ) 1945/8/6 新大州橋
183 NG471-06 負傷した兵隊の看護に婦人会の女性があたる。顔も唇もはれあがり焼けただれた傷口にはウジがわいた。 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 亀山の救護所
184 NG045-03 護岸工事の残石の上に十数人の生死不明の人が折り重なって倒れていた。天満橋の木の欄干がくすぶっていた。 中田 義明(ナカタ ヨシアキ) 1945/8/7 天満橋
185 NG210-01 護国神社の大鳥居の下の黒焦げの死体。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 1945/8/7 広島護国神社
186 NG241 警防団や兵隊さんが焼け跡から死体を集めていた。焼けて男女の見分けもつかなかった。 河野 寛治(コウノ ヒロハル) 1945/8/9 左官町電停前
187 NG047-04 警防団、国防婦人会、動員学徒の服装 國貞 勇(クニサダ  イサム)
188 NG067-01 警戒警報のサイレンが鳴り、空を見るとB29から3個の落下傘が降ろされた。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/6 大州橋付近
189 NG024-17 親戚を捜しに行き、大八車に乗せて連れて帰る。焼け野原の中の倒れている人の間を抜けていった。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/7 中広町~安古市町
190 NG183-25 見渡す限りがれきの山でまだ電信柱が燃えあちらこちらで煙が出ている。たくさんの死体があった。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/7
191 NG358-03 見渡すかぎりの焼け野原の中、防火用水槽には半身を水に沈めた男の人の黒こげの死体があった。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/6 富士見町
192 NG313 見るも無残な負傷者が次々と運び込まれてきた。「兵隊さん、水をください。」と呼ぶ声にかけ回った。 江村 良雄(エムラ ヨシオ) 1945/8/6 広島港付近
193 NG172-03 西練兵場付近で見た火ぶくれの黒い死体。作業後一休みの一服という人たちにも見えた。 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ) 1945/8/9 西練兵場
194 NG208-05 西練兵場に収容された無数の死体。行方不明の姉を捜したが区別がつかずどうしようもなかった。 高橋 正明(タカハシ マサアキ) 1945/8/8 西練兵場
195 NG338 西の海のはるかむこうに煙が大きく空を覆うように白く黒くきのこの形にもくもくと上がっていた。 宇治原 房代(ウジハラ フサヨ) 1945/8/6 愛媛県温泉郡難波村大字上難波中筋
196 NG331-02 製紙工場から火の手があがり、橋のたもとの土手筋にはたくさんの人が放心状態で座り込んでいた。 松長 静子(マツナガ シズコ) 1945/8/6 南大橋付近
197 NG197-01 裸で焼けた皮膚をたらして「熱い!助けて!」と叫びながら避難する人々。 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) 1945/8/6 日本製鋼所の工場寮前
198 NG103-04 被爆調査に来た調査団による遺体の解剖。この少女は無傷なのに亡くなっていた。 内田 栄一(ウチダ エイイチ) 1945/8/8 戸坂国民学校
199 NG336-04 被爆死した父の帰りを待ち、男の人を見るたびに「おとうさんが帰ってきた」と追いかけていく妹。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 安佐郡祇園町の自宅付近
200 NG359-02 被爆後何十年にも渡って現れた体の状況。 香藤 利枝(カトウ トシエ)

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