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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1401 NG049-03 黒く焼け焦げて顔の腫れた中学生、草むらに倒れて「お母さん、お母さん」と泣いていた。 内山 純子(ウチヤマ スミコ) 1945/8/8 牛島地区
1402 NG292-02-14 黒こげのカボチャを食べていた人たちは死んでしまった。死体は緑色に見えた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(グラウンド)
1403 NG292-02-13 黒こげのカボチャを食べている人たちがいたが、明け方にはみな苦しんで死んでしまった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(グラウンド)
1404 NG262-02 黒っぽい灰色の大きな縄状のものが立ち上り柱となってその上の方が大きくふくらみ雲のかたまりになった。 中西 俊佳(ナカニシ トシヨシ) 1945/8/6 松山市吉藤町
1405 NG232 黒と灰色の噴煙が上がり、せん光、爆風は砲台にまで押し寄せた。B29からは落下傘が降下された。 築山 香樹(ツキヤマ ヨシキ) 1945/8/6 大竹海兵団広島郷原派遣隊
1406 NG052-03 黒焦げとなって倒れていた軍馬の死体。 佐々木 智佐子(ササキ チサコ) 大手町六丁目辺り
1407 NG088-15 黒焦げになって死んだ軍馬。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/9
1408 NG258 黒焦げの死体の山の横で火傷にウジが這い回る姿の母、8歳の兄と5歳の私。 中村 正子(ナカムラ マサコ) 1945/8/8~8/9 矢賀国民学校
1409 NG470-02 黒焦げの遺体を運び火葬する。焼け残りの材木と遺体を交互に積み重ね火葬する作業が毎日続いた。 篠山 益治(ササヤマ エキジ) 1945/8/7 西練兵場
1410 NG083 黒煙と炎に包まれた市街。傷つき、火傷を負って避難してきた女性や子ども。 松島 要(マツシマ カナメ) 広島県聾学校
1411 NG186 「お母さん!!」黙々と避難する被災者の列の中、奇跡的に再会、抱き合って泣き崩れた母と私 古井 ナツコ(フルイ ナツコ) 1945/8/6

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