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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1381 NG333-05 食糧難のためイモ畑になっていた校庭には真っ黒に焼けこげた死体があちらこちらにあった。 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/7 県立広島第一中学校校庭
1382 NG013-12 馬車で運ばれてきた死体、地面に寝かされた人々 高本 正義(タカモト マサヨシ) 三菱重工業広島機械製作所
1383 NG130-02 駅から西方に機関車が倒れていた。ホームの屋根はなく降りる客もあまりいない。 吉井 敏春(ヨシイ トシハル) 1945/9/3 広島駅
1384 NG314-11 駅に戻ろうとしたが、すでに火災で激しく燃え上がっており、近寄れない状態だった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 広島駅
1385 NG292-01-34 駅を捜して通りかかりの人に聞くとぶっきらぼうにがれきの向こうを指差した。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 広島駅
1386 NG263-04 駅前から遠い宇品沖の似島が見えた。妹は似島で10日の昼頃亡くなっていたがその時はまだわからなかった。 加川 宏(カガワ ヒロシ) 1945/8/6 広島駅前
1387 NG314-29 駅前で特攻隊員らしき人がこぶしを上げて「戦争はこれからだ!」と叫んでいた。むなしかった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/9 広島駅前
1388 NG069-02 駅前にたくさんの負傷者がいた。男女の区別もつかず髪はちぢれて肌に食い込んだ着物の布で女の人とわかった 田島 武雄(タジマ タケオ) 1945/8/9 矢賀駅
1389 NG287-02 駅前の焼け残った路面電車を見たとき昨日見た焼死した母子が思い浮かんだ。 白川 法光(シラカワ ノリミツ) 1945/8/10か、8/11 広島駅前
1390 NG439-01 駅前は全く人気はなく街は瓦礫と化し市街をかこむ山々は茶褐色だった。 中川 清(ナカガワ キヨシ) 1945/8/26 広島駅
1391 NG183-08 高等科2年を卒業する時海軍に志願したが、昭ちゃんは身体が小さいので不採用だった。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ)
1392 NG354-02 髪の毛が抜け体中に斑点が出て、やけどにはウジがわき亡くなっていく友だち、人々。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 広島実践高等女学校講堂
1393 NG024-25 髪の毛が抜け始め、頭の地肌もむけて頭全体の表皮がはがれてしまった。傷につける薬もなかった。 河野 一郎(コウノ  イチロウ)
1394 NG346-01 鹿児島への帰省途中海田市駅で汽車が止まり、鉄橋を渡り歩いて市内に入る。 黒崎 昇勝(クロサキ ショウカツ) 1945/8/7 府中大川に架かる鉄橋(と思われる)
1395 NG193-03 黒、茶色など何とも言えない色の死体をトビ口で集め山のようにして火葬する。 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) 1945/8/7 比治山下
1396 NG056 黒い雨が激しく降り始めて急に寒くなり、負傷した人は寄り添って電車の中で雨をしのいだ。 森冨 茂雄(モリトミ シゲオ) 1945/8/6 天満町己斐方面行電停付近
1397 NG190-01 黒い雨が降り出し土管の中で雨が止むまで過ごした。 佐々木 澄江(ササキ スミエ) 1945/8/6 福島町
1398 NG282 黒い雨が降る中、倒れた民家の横に手押しポンプを見つけ水を飲む。翌日までこの水だけで過ごした。 安井 信(ヤスイ マコト) 1945/8/6 打越町
1399 NG075-02 黒く焼けた死体が並べられていた。自分が捜している人は見つからなかった。 原 敏子(ハラ トシコ) 1945/8/9 牛田国民学校
1400 NG328-01 黒く焼け焦げた母親。橋の上で子どもを抱いたまま倒れていた。 松井 ます枝(マツイ マスエ) 1945/8/7

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