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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1361 NG475 電車軌道上の仮設の救護所に収容された人々。水も食料も医薬品もなく悲惨な状態だった。 鈴木 半三(スズキ ハンゾウ)
1362 NG425 電車通りにトタン屋根で作られた応急の救護所。顔も体も赤黒く皆同じように見えた。 山中 雅夫(ヤマナカ マサオ) 1945/8/10 土橋から江波に向かう電車通り
1363 NG002-10 電車通りに散乱する大きな看板や自転車。脱線した路面電車の中は死体でいっぱいだった。 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) 1945/8/7~8/9
1364 NG223-01 電車通りを避難する人々。ショックで口を閉ざし手の先からはやけどの皮膚がたれさがっていた。 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) 1945/8/6 千田町三丁目
1365 NG248 青い空に真っ白な雲のかたまりが浮かんでいた。かたまりはしだいに形がくずれ黒くなった。 後藤 雅子(ゴトウ マサコ) 1945/8/6 光善坊
1366 NG024-07 青白い閃光の後、大きな音がした。廊下に出て見ると、灰色の空に大きなきのこ雲が上っていた。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/6 広海軍工廠
1367 NG325-04 青空には東南東から朝日を受けて白く美しく形のよいきのこ雲がくっきりと浮かんでいた。 箕浦 良直(ミノウラ ヨシナオ) 1945/8/6 大原神社付近
1368 NG270-02 青竹の爆心地側は熱線で焼けていた。女性が子どもを連れて食べ物を探し歩いていた。 吉村 貞人(ヨシムラ サダト) 1945/8/16頃 饒津神社付近
1369 NG071-05 鞍の部分をのぞいて全身火傷した馬。白木の箱に入れた遺骨を首から下げて行く人。 長見 英希(ナガミ ヒデキ) 1945/8/8 広島逓信局前
1370 NG032 頭がかゆくて一睡もできないと訴える男性。腫れた部分からウジが何十、何百と落ちてきた。 正木 鏡子(マサキ キョウコ) 1945/8/8頃 小方国民学校
1371 NG319-01 頭のてっぺんからかかとの先までやけどした弟。「アツイ…水…」とそれだけを繰り返して亡くなった。 今浦 瑛子(イマウラ エイコ) 1945/8/6 尾長国民学校
1372 NG267-10 頭痛、めまい、下痢、吐き気を伴う食欲不振で起きられず兵舎で寝る。終日38度くらいの発熱に悩まされた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/8 陸軍船舶司令部の兵舎
1373 NG183-27 頭頂部の髪の毛だけを残してやけどした人を見てどうしてそうなったのか不思議に思う。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ)
1374 NG134-05 顔、手、足が赤く熱くヒリヒリと痛むので谷川の水につけて冷やす。全裸の人々が山へ向かって避難してきた。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校近く
1375 NG046 顔がボールのように膨れ、唇もザクロのように裂けて膨れた人々。 渡辺 美智子(ワタナベ ミチコ) 1945/8/15 東洋工業
1376 NG002-18 顔にガラスの破片がいっぱい刺さったままの人たちが並べられた死体の中から肉親を捜している。 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) 1945/8/8
1377 NG461 顔の皮膚がはげ裸で手足の焼けただれた女学生。「水をちょうだい」と頼まれるが何もしてあげられなかった。 大本 八千代(オオモト ヤチヨ) 1945/8/6 福島川土手
1378 NG085 顔は黒く焦げ腹が膨れ上がった死体が川を流れる。橋の上の死体とそのそばで泣いている人。 平井 重子(ヒライ シゲコ) 1945/8/8 本川
1379 NG094-01 飛行機を見つけた瞬間、何か地上で一瞬光った。5、6秒後ブォーンという音が聞こえ爆風で1m程飛ばされた。 津村 明正(ツムラ アキマサ) 1945/8/6 牛田町
1380 NG256 食べ物の配給、広場に集められた負傷者、横転した汽車、馬の死体、母子と軍医、やけどした子どもたち。 菅野 俊雄(カンノ トシオ) 1945/8/8~8/9 広島駅

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