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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1341 NG462-02 防火用水槽の水を飲もうとする大やけどを負った人。 児玉 宇多子(コダマ ウタコ) 1945/8/6 青崎一丁目の国道沿いの防火用水槽
1342 NG358-05 防空ごうの上に頭蓋骨が大きさをそろえてきれいに並べられていた。そっと手を合せた。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/10~8/11 本川国民学校近く
1343 NG088-12 防空ごうの中に避難しそのまま死んだ人。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/9 広島市内
1344 NG446-02 防空ごうの中の死体、ごうの外で死んでいた名札をつけた男の子、死んだ母親の乳をほしがる赤ん坊。 川﨑 眞智子(カワサキ マチコ) 1945/8/6、8/7 大手町
1345 NG230-04 防空ごうの中は人々のうめき声で満ちていた。山の斜面に寝た。背中の傷に砂が食い込んだ。 平野 貞男(ヒラノ サダオ) 1945/8/6 比治山
1346 NG399-01 防空ごうの入口で目を開けたまま死んでいる男の子。 河野 しのぶ(カワノ シノブ)
1347 NG436-03 防空頭巾をつけたまま空のB29爆撃機を見ているところで原爆の熱線を直接に浴びた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 鶴見町
1348 NG040-05 陸軍幼年学校の校庭に生存者を収容する。傷の状態により軽傷者より宇品へ搬送する。死者は付近に集積。 貞森 幹夫(サダモリ ミキオ) 1945/8/8~ 広島陸軍幼年学校
1349 NG076-02 陸軍潜水艇ゆ艇。これに乗って広島湾で演習中にきのこ雲を見る。 鈴木 旭(スズキ アキラ) 1945/8/6 広島港
1350 NG202-03 陸軍船舶司令部前の桟橋には人々が折り重なって倒れ救援の船を待っていた。 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
1351 NG036 陸軍船舶練習部より見たきのこ雲 東 進(ヒガシ ススム) 1945/8/6 陸軍船舶練習部
1352 NG336-01 障子が真っ黄色になったのを部屋の中から見る。「あらっ」と思った時ドーンという音がした。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
1353 NG096-01 隣のご主人が顔も足も赤茶色に腫れ上がり、見えない目でよろめきながら帰ってきた。 金行 清香(カネユキ キヨカ) 1945/8/6 仁保町
1354 NG183-14 隣のベッドのおじさんに助けを求められるが、大きな棟木が上にあってどうしようもなかった。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院
1355 NG076-01 雲一つない青空に真白くキノコ型の雲が高く高く吹き上げられて広がっていった。 鈴木 旭(スズキ アキラ) 1945/8/6 広島港
1356 NG069-04 電柱がまだくすぶり続け煙りが出ていた。がれきの山、盛り上がった所などが熱っぽく感じた。 田島 武雄(タジマ タケオ) 1945/8/10
1357 NG400-05 電気がついたと思い近寄って見ると電柱の先が炭火のようになって点灯しているように見えたのだった。 匿名 1945/8/8~8/9 袋町国民学校
1358 NG235 電灯の下、救護活動の兵隊に水を求める負傷者たち。薬は赤チンとリバノール液しかなかった。 平野 鈆三(ヒラノ ショウゾウ) 1945/8/8 陸軍病院疎開先の被災者収容所
1359 NG044-12 電線がショートしたような青白い閃光 清水 正明(シミズ マサアキ)
1360 NG452 電線に宙吊りになった死体、電車の窓から顔を出し死んでいたたくさんの人たち 小田 豊巳(オダ トヨミ) 1945/8/6 広島駅前

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