トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1281 | NG013-15 | 道端に倒れて水を求める人々、焼けた路面電車。 | 高本 正義(タカモト マサヨシ) | |||
1282 | NG472-02 | 道端に横たわる黒い死体と瓦れきの街 | 右近 明敏(ウコン アキトシ) | 1945/8/7 | 中島本町 | |
1283 | NG304-10 | 道路にはやけどで生死もわからない人が無数に横たわっていた。全身やけどで死直前の警察官が歩いていた。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/8 | 御幸橋付近 | |
1284 | NG314-16 | 道路まで女性を運ぶのを手伝う。校舎に火がまわる前に逃げてきたが外に出る直前に動けなくなったらしい。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 広島文理科大学 | |
1285 | NG448-01 | 道路や川の中の真っ黒な死体、路面電車、欄干のなくなった橋 | 飯田 康雄(イイダ ヤスオ) | 1945/8/7 | ||
1286 | NG333-03 | 道路や船着場の石段に座り込む多数の負傷者。黒く焼けただれた肌から赤身が見えている。 | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/6 | 大手町九丁目の魚市場荷揚場 | |
1287 | NG358-01 | 遠くで火の手が上がっていた。けがをした人が川土手の方へ歩いて避難していた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/6 | 東洋製罐広島工場近くの川土手 | |
1288 | NG363 | 遠縁の家に避難する途中、紙屋町交差点付近では、警防団の人が死体を集めて火葬していた。 | 横田 勝(ヨコタ マサル) | 1945/8/8 | 紙屋町 | |
1289 | NG358-08 | 遺体の運搬を手伝う。道の横に松丸太を並べて遺体を置き松の枯枝をおおって火葬していた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 比治山神社の参道 | ||
1290 | NG343-04 | 遺体は腐敗が始まったのでやむなく火葬し、氏名、性別、特徴等をできるだけ正確に記入し公表した。 | 竹内 勇(タケウチ イサム) | |||
1291 | NG343-02 | 遺体は道路に並べられ肉親・知人に引き取られるのを待った。 | 竹内 勇(タケウチ イサム) | |||
1292 | NG391-04 | 避難する人はみな白島方面に向かっていた。 | 前田 修治(マエダ シュウジ) | 1945/8/6 | 鉄砲町 | |
1293 | NG094-03 | 避難する負傷者、母子、長寿園付近の死体、脱線した貨車、馬の死体、市内で肉親を捜す人々。 | 津村 明正(ツムラ アキマサ) | 1945/8/6~8/8 | 牛田町、基町、工兵橋~長寿園、相生橋、大須賀町 | |
1294 | NG459 | 避難のために船に乗り込む。周りには数多くの死体が漂っていた。 | 山田 ミサ子(ヤマダ ミサコ) | 1945/8/10頃 | 本川橋西詰 | |
1295 | NG427-01 | 避難場所に指定されていた祇園の青年学校を目指して逃げる。皆焼けただれ目玉が飛び出ている女性もいた。 | 櫻井 賢三(サクライ ケンソウ) | 1945/8/6 | 楠木町通り | |
1296 | NG266-04 | 避難場所の寺の境内とお堂の大広間にはすでに大勢の被災者でいっぱいで息苦しさが漂っていた。 | 煙上 博隆(エンジョウ ヒロタカ) | 1945/8/6 | 専念寺(安芸中野駅近く) | |
1297 | NG266-03 | 避難場所をめざして歩くが、空腹とのどの渇きで苦しかった。母が畑からトマトをもぎ食べさせてくれた。 | 煙上 博隆(エンジョウ ヒロタカ) | 1945/8/6 | ||
1298 | NG401-06 | 避難所を変わることになりトラックに乗り府中国民学校に行った。たくさんの負傷者でいっぱいだった。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | 府中国民学校 | ||
1299 | NG477-03 | 郊外に避難する負傷者、衣服はボロボロで、両腕は皮膚が肉から離れ、手袋をぶら下げているようだった。 | 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) | 1945/8/6 | 三篠川の土手 | |
1300 | NG024-22 | 郊外の救護所でやわらかい布団に寝かせてもらい、地元の婦人会の人から手厚い看護を受ける。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/10以降 | 山内西国民学校 |