トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1261 | NG120 | 身体中にガラスがささり、頭が20cmくらい割れ右腕関節に木がささったままの夫。 | 森岡 まさ子(モリオカ マサコ) | 甲奴郡甲奴村梶田の自宅 | ||
1262 | NG129 | 身元不明のまま亡くなった多くの人々。誰にも手を合わせてもらうことなく山積みにされ運ばれていった。 | 岡崎 清美(オカザキ キヨミ) | 田舎のお寺の中庭 | ||
1263 | NG219-03 | 身寄りも分からないまま亡くなった人々をだびに付しその性別特徴など書いて骨箱に貼り道に並べた。 | 中平 武司(ナカヒラ タケシ) | 1945/8/10~8/15 | 的場町 | |
1264 | NG179 | 車中から見た広島の山々。原爆の火災により焼き尽くされ赤土の中の松の木の残骸が残っていた。 | 大久保 戒道(オオクボ カイドウ) | 1945/8/20頃 | ||
1265 | NG223-03 | 軌道上の焼けただれた路面電車。まわりは見渡すかぎりの焼け野原だった。 | 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) | 1945/8/8 | 大手町二丁目付近 | |
1266 | NG171 | 軍刀を杖に歩いていた見習い士官。左頚部より鮮血が吹き出していた。 | 増本 カズヱ(マスモト カズエ) | 1945/8/6 | 戸坂より基町に行く途中 | |
1267 | NG051-09 | 軍用品を一般の人に配る。長靴、手袋、釘、針、糸、米、砂糖、塩、メリケン粉、マッチ、ローソクなど。 | 住本 一美(スミモト カズミ) | |||
1268 | NG370-07 | 輸血により高熱と下痢が止まったが、5cmくらいの裂傷が治るのに2カ月近くかかった。 | 山田 一郎(ヤマダ イチロウ) | 比婆郡東城町 | ||
1269 | NG071-02 | 近くの山に登って高い所から広島の様子を見る。 | 長見 英希(ナガミ ヒデキ) | 1945/8/6 | 船越の近くの山の上 | |
1270 | NG234-02 | 近所の叔母さんに会う。顔は真っ黒でやけどの水ぶくれが破れて皮膚があごからぶら下がっていた。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 横川一丁目電停付近 | |
1271 | NG332-04 | 近所の女学校の塀には生徒の名前が書かれその下には遺骨をのせた瓦が並べてあった。 | 小間 義衛(コマ ヨシエ) | 1945/8/11 | 東観音町二丁目 | |
1272 | NG401-03 | 近所の子と出会う。おかあさんは?と聞いてもみないないと言って泣くばかりだった。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | 1945/8/6 | ||
1273 | NG019-05 | 追憶(ドーム火災) | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 広島県産業奨励館 | ||
1274 | NG183-18 | 逃げていく途中、一人の兵隊さんが、誰か誰か水を下さいと叫んでいた。目や腕をやられ血だらけだった。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/6 | 舟入病院付近 | |
1275 | NG069-15 | 連隊より解散命令が出たので列車で故郷に帰る。列車からは農家で被災者を看病する様子が多く見られた。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/13 | ||
1276 | NG304-02 | 運動場から旋回するB29を見る。誰かが「B29が何かを落とした。」と叫んだ。しかし私には何も見えなかった。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島逓信講習所 | |
1277 | NG304-05 | 運動場にスズメが一羽落ち、学校の塀が何十mにも渡り同じ方向に倒れていた。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島逓信講習所 | |
1278 | NG164-06 | 道なき道、倒壊した家の間を負傷者を背負い1時間くらいかかって歩く。 | 久井 一章(クイ カズアキ) | |||
1279 | NG265 | 道端にある防空ごうに黒焦げになった死体を見た。腹帯をしていて妊婦のようだった。 | 中澤 彪(ナカザワ タケシ) | 1945/8/8 | ||
1280 | NG197-02 | 道端にいる負傷者を木炭自動車で青崎国民学校へ運ぶ。土ぼこりをかぶり目だけが異様に光っていた。 | 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) | 1945/8/6 | 大洲橋東詰め |