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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1241 NG440-02 負傷者を乗せたトラックが宇品方面に向かっていた。死者を大八車に乗せ縮景園に運び火葬した。 志田 敏衛(シダ トシエ) 1945/8/6~8/20頃 縮景園付近
1242 NG361 負傷者を乗せた列車が走っていた。熱線を受けた人は体の一方向だけが黒こげになっていた。 松岡 清徹(マツオカ セイテツ) 1945/8/6 呉線沿線
1243 NG420 負傷者を乗せた馬車が家の前の道を大朝方面に向かって行く光景をその夏何度も目にした。 佐藤 教(サトウ オシエ) 山県郡川迫村上川戸の自宅前
1244 NG276-02 負傷者を乗せて宇品方面に向かうトラック。みな荷台に立った状態で裸のようだった。 瀧川 ヤスコ(タキガワ ヤスコ) 1945/8/6 千田町の電車通り
1245 NG138-01 負傷者を収容した仮救護所ののテント。毎日のように二人三人と息絶えて運び出されていた。 椋 忠六(ムク チュウロク) 1945/8/13
1246 NG401-02 赤い火の玉が落ちてきて火事だと思った瞬間ドンという大きな音がしてあたりは真っ暗になった。 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) 1945/8/6 広島鉄道局印刷場
1247 NG344-03 赤ん坊がお腹が空いているのか泣いているが母親は虫の息でどうすることもできない。 渡邊 昭三(ワタナベ ショウゾウ) 1945/8/7 広島赤十字病院
1248 NG433-03 赤ん坊を抱いた母親の真っ黒焦げの死体があった。赤ん坊の頭をそっとなでると灰になった。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/7 南大橋付近
1249 NG469-01 赤ん坊を背負った婦人が真っ黒な死体の中から皮ベルトを目印に夫を見つける。 小笠原 昭道(オガサワラ ショウドウ) 1945/8/8 住吉神社境内
1250 NG353-01 赤黒くなった30歳くらいの女性の顔にウジが数匹いたがどうしてあげることもできなかった。 西村 正巳(ニシムラ マサミ) 大野西国民学校(と思われる)
1251 NG010 赤黒く焼けた電車と兵隊に水をもらう少年 沖山 正実(オキヤマ マサミ) 1945/8/6 西練兵場東側、白島線沿い
1252 NG354-03 足首をほとんど切断され皮膚1枚でつながった状態で後ずさりで逃げる人。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 1945/8/6 広島市役所付近
1253 NG234-03 跡形もなくなった家で「皆無事五日市に居る」と書いた板を見つける。見た瞬間涙が出た。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 自宅前
1254 NG431-02 路面電車のレール軌道内に横になっていた人たち。老若、男女、生き死にもわからなかった。 朝信 澄子(アサノブ スミコ) 1945/8/10 舟入の電車通り
1255 NG328-02 路面電車の中で被爆してそのままの姿で亡くなっている人たち。 松井 ます枝(マツイ マスエ) 1945/8/7
1256 NG346-03 路面電車の中には多くの人の死体が折り重なっていた。近くで馬が2倍くらいにふくれて死んでいた。 黒崎 昇勝(クロサキ ショウカツ) 1945/8/7
1257 NG292-02-21 路面電車の台だけが残りそのまわりに黒こげの死体が横たわっていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 広島電鉄前
1258 NG019-25 路面電車の残骸 小尻 勉(コジリ ツトム)
1259 NG292-01-27 路面電車の線路の歩道に真っ白なにぎり飯が並べてあったが、すでにくさっていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 路面電車の線路の両側の歩道
1260 NG413-03 路面電車や道路には人や牛の死体が横たわっていた。呉から来たトラックが乾パンを配っていた。 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 御幸橋~鷹野橋

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