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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1221 NG358-03 見渡すかぎりの焼け野原の中、防火用水槽には半身を水に沈めた男の人の黒こげの死体があった。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/6 富士見町
1222 NG183-25 見渡す限りがれきの山でまだ電信柱が燃えあちらこちらで煙が出ている。たくさんの死体があった。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/7
1223 NG024-17 親戚を捜しに行き、大八車に乗せて連れて帰る。焼け野原の中の倒れている人の間を抜けていった。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/7 中広町~安古市町
1224 NG067-01 警戒警報のサイレンが鳴り、空を見るとB29から3個の落下傘が降ろされた。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/6 大州橋付近
1225 NG047-04 警防団、国防婦人会、動員学徒の服装 國貞 勇(クニサダ  イサム)
1226 NG241 警防団や兵隊さんが焼け跡から死体を集めていた。焼けて男女の見分けもつかなかった。 河野 寛治(コウノ ヒロハル) 1945/8/9 左官町電停前
1227 NG210-01 護国神社の大鳥居の下の黒焦げの死体。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 1945/8/7 広島護国神社
1228 NG045-03 護岸工事の残石の上に十数人の生死不明の人が折り重なって倒れていた。天満橋の木の欄干がくすぶっていた。 中田 義明(ナカタ ヨシアキ) 1945/8/7 天満橋
1229 NG471-06 負傷した兵隊の看護に婦人会の女性があたる。顔も唇もはれあがり焼けただれた傷口にはウジがわいた。 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 亀山の救護所
1230 NG294 負傷した多くの人が徒歩やトラックで市内から海田方面に向かっていた。 森矢 光儀(モリヤ ミツギ) 1945/8/6 新大州橋
1231 NG024-27 負傷した患者を畳に乗せて運ぶ。腫れあがった腕の時計をはずしてくれと頼まれたがどうしても取れなかった。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/14 広島逓信病院
1232 NG097-02 負傷した肉親を戸板に乗せて励ましながら家に運ぶ人たち。土手には死体を集めて火葬する炎が見えた。 村中 淑子(ムラナカ トシコ) 府中
1233 NG103-05 負傷して庄原に運ばれる途中の駅で偶然叔母と再会した少年兵。トマトを食べたがったがそのまま亡くなった。 内田 栄一(ウチダ エイイチ) 1945/8/8 芸備線庄原駅の2、3手前の駅
1234 NG043 負傷し、逃れてくる多くの人々。全身に血を浴び、あごに空き缶をぶら下げ、歩いていた2人。 森瀧 澄香(モリタキ スミカ) 1945/8/7 備後十日市駅(現在の三次駅)
1235 NG193-01 負傷者がいっぱいで、やけどでふくれ、皮膚がたれさがっていた。みな水を求めて倒れていった。 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) 1945/8/6 仁保町
1236 NG236-02 負傷者であふれた救護所。この惨状の中で出産というできごともあり、懸命にその世話をした。 知久 喜代野(チク キヨノ) 青崎国民学校
1237 NG355 負傷者で橋はいっぱいだった。その中で助けを求める中年の女性の姿と叫び声が忘れられない。 加藤 久男(カトウ ヒサオ) 1945/8/6 住吉橋
1238 NG088-09 負傷者に水を与える兵隊。頭に包帯をして病室から水を飲みに来る人。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/8 広島陸軍兵器補給廠
1239 NG315-01 負傷者の収容場所となった長寿園。水を求める人に鉄かぶとで川から水を汲み飲ませる。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/6 長寿園
1240 NG066 負傷者はみな帽子をかぶっていた部分だけ残して髪の毛は焼けていた。焼けただれた肌にはウジがわいた。 古本 徳夫(フルモト トクオ) 三入国民学校

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