トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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21 | NG126-02 | B29が見え、思わず頭を下げた瞬間、異様な閃光に包まれた。全身に熱線を浴び、完全に意識を失った。 | 石谷 龍司(イシガイ リュウジ) | 1945/8/6 | 富士見町の自宅 | |
22 | NG020-01 | B29が飛んできて、落下傘のようなものを落とした。ギラギラと落ちていき、その後ピカリと光った。 | 布野 正夫(フノ マサオ) | 1945/8/6 | 畑賀国民学校 | |
23 | NG183-41 | 「いまの幸せを大切にしたい」 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
24 | NG225-02 | 「おかあさーん」と泣き叫びながら走ってきた娘さん。髪は逆立ちやけどで全裸だった。 | 今中 弘子(イマナカ ヒロコ) | 1945/8/6 | 大正橋 | |
25 | NG143-01 | 「アッ!B29が何か白いものを落とした」と言う声に窓から上空を見ると機影とそれらしき物が目に写った。 | 渡邉 昭惠(ワタナベ アキエ) | 1945/8/6 | 倉敷航空機株式会社広島製作所 | |
26 | NG183-03 | 「ススメ、ススメ、ヘイタイ、ススメ」と学校の教科書で習う。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
27 | NG183-04 | 「今に大きくなったらけんしょうつけてけんつけてお馬に乗ってハイドウドウ」 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
28 | NG426-05 | 「先生、足を切ってください」と頼む姉妹がいた。ムシロをはぐって見ると2人とも焼けただれていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校校舎内 | |
29 | NG479 | 「兵隊さん、目が見えない」と言って寄ってきた男の子。皮膚は焼けただれ垂れさがっていた。 | 賀川 将(カガワ ススム) | 1945/8/6 | 比治山 | |
30 | NG357 | 「助けると思うて私の背中におしっこをしてくださらんか。」とやけどした高齢の女性に頼まれた。 | 平川 林木(ヒラカワ リンボク) | 1945/8/6 | 吉島飛行場北東部 | |
31 | NG183-01 | 「昭ちゃんの原子爆弾被爆体験記」表紙 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
32 | NG176-08 | 「水をくれー」「水をくれー」と言う負傷者たち。手を合わす姿が今も忘れられない。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 富士見町 | |
33 | NG331-03 | 「白神社あたりで爆死した女運転手」と名札が付けられていた女性の死体。 | 松長 静子(マツナガ シズコ) | 1945/8/7 | 南千田町 | |
34 | NG299-02 | 『アメリカが新型爆弾を投下した。市内に立入禁止』と立て札があった。踏切の向こうは火の海だった。 | 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) | 1945/8/6 | 愛宕踏切 | |
35 | NG044-09 | ある者は下敷きになったまま焼け死んだ。ある者は逃げる途中で息絶えた。正に生き地獄であった。 | 清水 正明(シミズ マサアキ) | |||
36 | NG125-01 | うす煙にかすんだような空気が漂う原爆ドームの中にもの悲しく寂びそうな少女の姿が浮かぶのを見た。 | 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) | 原爆ドーム | ||
37 | NG183-15 | おかあさんの呼ぶ声に必死に明るい方へと行きくずれた屋根の上に出た。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/6 | 舟入病院 | |
38 | NG183-33 | おかあさんは山内西国民学校の仮設病院に入院した。広島に2人を捜しにいったおとうさんが戻ってきた。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/8 | 比婆郡山内西村の自宅 | |
39 | NG440-03 | おかっぱ髪のセーラー服の少女にお水を下さいとせがまれたが持ち合わせがなく立ち去った。 | 志田 敏衛(シダ トシエ) | 1945/8/6~8/20頃 | 八丁堀付近(と思われる) | |
40 | NG333-07 | おにぎり炊き出しがあるという知らせに市役所前に行く。すでに大勢の人々が列を作っていた。 | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/7 | 広島市役所前 |