トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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221 | NG292-02-16 | 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/7 | 千田町の自宅 | |
222 | NG209-06 | 似島に収容された夫の看病をする。病棟の掃き出し窓から気の狂った女性が中をのぞいていた。 | 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) | 1945/8/10 | 似島検疫所 | |
223 | NG209-04 | 似島検疫所に収容された全身やけどの女性と看病する家族。 | 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) | 似島検疫所 | ||
224 | NG436-13 | 住み家を失った被災者が山の中腹にあった防空ごう近くのやぶの中に住んでいた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6~8/15 | 仁保町大河平台 | |
225 | NG013-11 | 住吉神社に倒れている人々 | 高本 正義(タカモト マサヨシ) | 1945/8/7 | 住吉神社 | |
226 | NG181-04 | 住吉神社の仮救護所より自宅に連れて帰る。 | 妙見 法彦(ミョウケン ノリヒコ) | 1945/8/8 | 水主町 | |
227 | NG311-03 | 体がだるく熱が出て床に着いた叔父。首の血管が浮き出てブドウのようになった。何の治療もできず亡くなる。 | 脇中 悦子(ワキナカ エツコ) | 1945/9 | ||
228 | NG134-03 | 何が起きたのかわからなかった。目の前は真っ白、青、オレンジ、赤、黄色とかわりやがて真っ暗になった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校校庭 | |
229 | NG428-02 | 何とかつぶれた家から抜け出すと松の木に火の気もないのに火がついて燃え出していた。 | 杉本 知佐子(スギモト チサコ) | 1945/8/6 | 幟町の自宅 | |
230 | NG304-04 | 何秒かが過ぎてB29の方角を見るとそこには想像できないくらい大きなドーナツ型の火のかたまりがあった。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島逓信講習所 | |
231 | NG304-03 | 何秒かが過ぎ黄色の火の中に飛び込んだ感じだった。音はまったくわからず爆風が過ぎるまでの記憶がない。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島逓信講習所 | |
232 | NG334-01 | 作業のため電車通りに整列中に被爆した広陵中学校の1年生。先生の背中には火がついていた。 | 松長 雅二(マツナガ マサジ) | 1945/8/6 | 比治山橋付近 | |
233 | NG015-02 | 信楽焼きのかめに入っている両親のあごの骨。原爆で亡くなった両親の遺骨と復員して姉の家で対面する。 | 小野 照昌(オノ テルマサ) | |||
234 | NG002-13-01 | 倒れた家の下敷きになっている人を引っぱり出そうとする。 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
235 | NG002-13-02 | 倒れた家の下敷きになっている人を引っぱり出そうとする。 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
236 | NG370-02 | 倒れた家の中は真っ暗でメラメラと火のくすぶる音がする。裏のご主人に引っ張り出してもらった。 | 山田 一郎(ヤマダ イチロウ) | 1945/8/6 | ||
237 | NG039-01 | 倒れた家の屋根の下敷きになった子どもを助けてほしいと女性に頼まれるがどうすることもできなかった。 | 百々 和子(ドド カズコ) | 1945/8/6 | 栄橋 | |
238 | NG034-03 | 倒れた柱に手をはさまれた女の子、火が迫ってくるが助け出すことができない。 | 加藤 義典(カトウ ヨシノリ) | 1945/8/6 | 段原国民学校 | |
239 | NG426-01 | 倒れた軍馬と息絶え絶えで水を求めている兵隊を見る。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 牛田町 | |
240 | NG088-05 | 倒れている人、血まみれで逃げる親子、泣く子どもなど段原に近くなるにつれて負傷者が多くなっていった。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/6 | 段原方面 |