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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1 NG178 10時頃列車が広駅に到着する。中は血まみれの負傷者でいっぱいだった。 大杉 好夫(オオスギ ヨシオ) 1945/08/06 広駅
2 NG024-18 10頭くらいの馬が倒れていた。どの馬も腹がパンパンに張れていた。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/8 三篠橋附近
3 NG013-10 1カ月以上川を漂っていた女学生の遺体を、浜に引き上げ、砂の中に埋葬する。 高本 正義(タカモト マサヨシ) 1945/9/12 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前
4 NG013-09 1カ月以上川を漂っていた女学生の遺体をかわいそうに思い引き上げる。 高本 正義(タカモト マサヨシ) 1945/9/12 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前
5 NG013-07 1カ月経っても女学生の遺体は船から離れない。足が無くなり、首と胴体だけになる。 高本 正義(タカモト マサヨシ) 1945/9/7 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前
6 NG314-05 1番線に下り列車が停車していた。列車の中にはまったく乗客が見当たらなかった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 広島駅
7 NG208-02 20人くらいの人が防火用水槽に入り、灰色で水ぶくれの状態で亡くなっていた。 高橋 正明(タカハシ マサアキ) 1945/8/8 十日市交差点北東側
8 NG394 2歳くらいの子どもとその母親らしい女性の死体。母は手を前に伸ばし子どもに近づこうとしていた。 香口 真作(コウグチ シンサク) 1945/8/7 白神社
9 NG396 3人の親子に出合う。服は破れ数歩進んでは立ち止まりその都度幼児は母親を見上げていた。 齋藤 陽(サイトウ ヨウ) 1945/8/6 呉市広町
10 NG374-03 3分くらいして赤い火の玉を巻くように外側がもくもくと灰色から暗い色になっていった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
11 NG292-01-19 5、6人の男女が黒く焦げたカボチャをくだいて食べていた。食べた人は苦しみ出し朝にはみな死んでいた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(グラウンド)
12 NG170 7、8人づつ肩を組んで助け合いながら大芝公園に避難してきた負傷者たち。 櫻井 多寿子(サクライ タズコ) 1945/8/6 大芝公園
13 NG141 7カ月の身重だった私は1歳2カ月の長女と二人家屋の下敷きになる。長女は8月29日に死亡する。 梶野 清子(カジノ キヨコ) 1945/8/6 舟入町 天満川川岸
14 NG162-01 7人の方が死亡した我が子をそれぞれ背負って備後十日市に帰るところを目撃した。 重安 久人(シゲヤス ヒサト) 1945/8/9 広島駅から南へ1km交差点
15 NG134-13 8月15日重大発表があると朝からラジオを囲む。雑音の中、かすかに天皇陛下の終戦の放送を聞く。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/15 己斐町
16 NG134-01 8月6日朝8時12分頃己斐国民学校校庭へ集まる。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校校庭
17 NG050-03 8月7日以降毎晩火葬が続く。火葬の煙りに手をあわせる人々 渡 芳子(ワタリ ヨシコ) 1945/8/7
18 NG457-05 B29から広島市街に原爆を落とす様子、負傷者の収容されたビル、上半身裸で皮膚のたれさがった人。 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ)
19 NG202-01 B29が2機現われる。落下傘のような白いものの下に大豆くらいの大きさに見えた黒いものを落下した。 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) 1945/8/6
20 NG126-01 B29が見え、思わず頭を下げた瞬間、異様な閃光に包まれた。全身に熱線を浴び、完全に意識を失った。 石谷 龍司(イシガイ リュウジ) 1945/8/6 富士見町の自宅

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