トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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141 | NG071-07 | 爆風で倒れた松。竹ぼうきのようになっていた。 | 長見 英希(ナガミ ヒデキ) | 1945/8/8 | 縮景園 | |
142 | NG014-01 | 広島県産業奨励館近く、瓦礫の中の白骨化した中学生たちの死体 | 豊田 清史(トヨタ セイシ) | 1945/8/7 | 細工町の川岸、広島県産業奨励館付近 | |
143 | NG014-02 | 広島県産業奨励館近く、白骨化した建物疎開作業の中学生 | 豊田 清史(トヨタ セイシ) | 1945/8/7 | 細工町、広島県産業奨励館付近 | |
144 | NG109-03 | 紙屋町電車停留所で焼け焦げて骨組みだけになった路面電車の車内にあった一体の白骨。 | 藤川 博(フジカワ ヒロシ) | 1945/8/7 | 紙屋町電停 | |
145 | NG019-21 | 紙屋町交差点付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 紙屋町交差点付近 | ||
146 | NG208-04 | 紙屋町交差点の「宇品方面より広島駅」行きの電車。車内の人は皆即死の状態だった。 | 高橋 正明(タカハシ マサアキ) | 1945/8/8 | 紙屋町交差点 | |
147 | NG324-03 | 焼けただれた電車は鉄枠だけになっていた。また乗用車はペシャンコに押しつぶされていた。 | 林 隆(ハヤシ タカシ) | 1945/8/7 | 紙屋町と相生橋の間 | |
148 | NG363 | 遠縁の家に避難する途中、紙屋町交差点付近では、警防団の人が死体を集めて火葬していた。 | 横田 勝(ヨコタ マサル) | 1945/8/8 | 紙屋町 | |
149 | NG456-02 | 山に避難し、燃えている自分達がいた建物を見おろす。 | 村山 要(ムラヤマ カナメ) | 1945/8/6 | 第二総軍司令部 | |
150 | NG456-01 | 原爆の落ちた瞬間、真っ暗になり、逃げ遅れて1人通信室にとり残される。ガラス破片で頭と顔に負傷する。 | 村山 要(ムラヤマ カナメ) | 1945/8/6 | 第二総軍司令部 | |
151 | NG137-02 | 建物の下敷きになった士官。「自分はいいから暗号表だけは持ち出してくれ。」と言いながら火につつまれた。 | 高野 信政(コウノ ノブマサ) | 1945/8/6 | 第二総軍司令部 | |
152 | NG137-01 | 司令部の建物は倒壊し、庭には数え切れない人が横たわっていた。みな血まみれでまったく動かなかった。 | 高野 信政(コウノ ノブマサ) | 1945/8/6 | 第二総軍司令部 | |
153 | NG029-02 | 門を出てボロを着た人に驚いたが、それは服ではなく、皮膚がむけて垂れ下がっているのだと気がつく。 | 田中 富安(タナカ トミヤス) | 1945/8/6 | 第二総軍司令部 | |
154 | NG029-01 | 倒壊した兵舎の屋根のすきまから市街を一望する。真夜中のような静けさだった。 | 田中 富安(タナカ トミヤス) | 1945/8/6 | 第二総軍司令部 | |
155 | NG333-01 | 火災に追われ防火用水槽に飛び込んだ。中には5人の人がいた。このままだと焼死すると叫び避難させた。 | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/6 | 竹屋町付近 | |
156 | NG019-08 | 竹屋町附近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 竹屋町付近 | ||
157 | NG442 | 空鞘神社付近から原爆ドームに向けて撮った写真を図案化したもの。 | 秋田 サチヱ(アキタ サチエ) | 1999頃 | 空鞘稲荷神社付近 | |
158 | NG161 | 動員先からようやく我が家にたどりつく。家は消滅し、付近には、無数の死体が横たわり異臭を放っていた。 | 土井 篤(ドイ アツシ) | 1945/8/7 | 空鞘町 | |
159 | NG219-02 | 川の中は犠牲者でいっぱいだった。水の流れがなく同じ遺体が幾日も浮いていた。 | 中平 武司(ナカヒラ タケシ) | 1945/8/6 | 稲荷町電車専用橋付近 | |
160 | NG069-03 | 入隊のため矢賀駅から市内に向かう。電車線路の枕木の上を歩いて川を渡り八丁堀方面に入った。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/10 | 稲荷町電車専用橋 |