トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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21 | NG249-02 | 家がゆれ何事かと外に飛び出すと山の上に雲のかたまりがぽっかりと浮かんでいた。 | 1945/8/6 | 高田郡本村 | ||
22 | NG249-01 | シュークリームそっくりだった不思議な雲は形を変えて上へ下へと広がっていった。 | 1945/8/6 | 高田郡本村 | ||
23 | NG385 | きのこ雲はゆっくりモクモクと黒く大きくなりながら内側が赤や紫色に変わっていった。 | 在川 和磨(アリカワ カズマ) | 1945/8/6 | 高宮郡深川村下深川 | |
24 | NG456-03 | 水をもらいに高勢邸に行く。この水で多くの人が助かった。高勢の家は爆風でかたむいて山にもたれていた。 | 村山 要(ムラヤマ カナメ) | 高勢邸 | ||
25 | NG314-33 | 水爆実験即時停止などを杉並区民に訴えるための杉並平和祭演劇公演を高円寺会館を借りて開催する。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 高円寺会館 | ||
26 | NG069-08 | 熱線が人々の肌に深く焼きついてほとんど全裸の姿だった。女生徒はお母さんと叫び続けていた。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 駅前、福屋通り | ||
27 | NG387-01 | 熱さのあまり川に飛び込み溺れた人なのだろうか。やけどやけがで顔は見分けもつかなかった。 | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 饒津神社近くの京橋川 | |
28 | NG387-04 | 枕元に置かれたむすびを食べることもなく息絶えた子ども | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 饒津神社付近 | |
29 | NG270-02 | 青竹の爆心地側は熱線で焼けていた。女性が子どもを連れて食べ物を探し歩いていた。 | 吉村 貞人(ヨシムラ サダト) | 1945/8/16頃 | 饒津神社付近 | |
30 | NG392-02 | 川土手に出ると川には多くの死体が流れ、川に向かって人がぞろぞろと下りていった。 | 梶矢 文昭(カジヤ フミアキ) | 1945/8/6 | 饒津神社 | |
31 | NG462-01 | 半身に大やけどを負った友人。 | 児玉 宇多子(コダマ ウタコ) | 1945/8/6 | 青崎国民学校 | |
32 | NG236-02 | 負傷者であふれた救護所。この惨状の中で出産というできごともあり、懸命にその世話をした。 | 知久 喜代野(チク キヨノ) | 青崎国民学校 | ||
33 | NG462-02 | 防火用水槽の水を飲もうとする大やけどを負った人。 | 児玉 宇多子(コダマ ウタコ) | 1945/8/6 | 青崎一丁目の国道沿いの防火用水槽 | |
34 | NG230-03 | 太陽に照らされて体全体がヒリヒリするのに気づいた。まだズボンやゲートルがくすぶっていてた。 | 平野 貞男(ヒラノ サダオ) | 1945/8/6 | 電信隊 | |
35 | NG176-12 | 兵隊が死体を火葬しているところを見る。死体に重油をかけ、まるで木の根を焼くようだった。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 雑魚場町 | |
36 | NG176-11 | 死体を収容する兵隊。両手に2人、両足に2人、首に1人でささえていた。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 雑魚場町 | |
37 | NG176-10 | 数多くの死体の中に頭の上部が割れていた死体があった。黒焦げであったが割れた部分が白く見えた。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 雑魚場町 | |
38 | NG036 | 陸軍船舶練習部より見たきのこ雲 | 東 進(ヒガシ ススム) | 1945/8/6 | 陸軍船舶練習部 | |
39 | NG260 | きのこ雲 | 堀家 久志(ホリケ ヒサシ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶砲兵教導連隊 | |
40 | NG254 | きのこ雲の中では上から下に紫の火柱が走り、何回も爆発音がした。紫、オレンジ、赤色の炎だった。 | 田所 久伸(タドコロ ヒサノブ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶整備教育隊 |