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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
181 NG374-03 3分くらいして赤い火の玉を巻くように外側がもくもくと灰色から暗い色になっていった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
182 NG374-02 広島の街は霞がかかったようにおおわれていた。空には真っ赤な大きな火の玉があった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
183 NG183-30 矢賀駅から貨物列車に乗り家に向う。途中何度も空襲があるということでライトを消して停車した。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/7 矢賀駅
184 NG069-02 駅前にたくさんの負傷者がいた。男女の区別もつかず髪はちぢれて肌に食い込んだ着物の布で女の人とわかった 田島 武雄(タジマ タケオ) 1945/8/9 矢賀駅
185 NG352 母を追って家から外に出た瞬間巨大な稲光が空を走り、そばにいた姉がとっさに私の頭を押さえた。 宮本 和人(ミヤモト カズト) 1945/8/6 矢賀町
186 NG297 教室の中には大勢の人が横になっていた。おばあさんがトマトにしゃぶりついているのが異様に見えた。 西川 愛子(ニシカワ アイコ) 矢賀国民学校
187 NG258 黒焦げの死体の山の横で火傷にウジが這い回る姿の母、8歳の兄と5歳の私。 中村 正子(ナカムラ マサコ) 1945/8/8~8/9 矢賀国民学校
188 NG089 芸備線の汽車で家に向かう負傷者たち。多くの人が到着までに亡くなった。 小田 貞枝(オダ サダエ) 1945/8/6~8/8 矢賀から庄原方面に向かう芸備線の汽車の中
189 NG239-03 閃光と爆風が止むと同時に県立広島第二中学校の3棟の2階建て校舎はほとんど全壊した。 和田 耕治(ワダ コウジ) 1945/8/6 県立広島第二中学校
190 NG239-02 閃光と爆風が止むと同時に県立広島第二中学校の3棟の2階建て校舎はほとんど全壊した。 和田 耕治(ワダ コウジ) 1945/8/6 県立広島第二中学校
191 NG426-03 古いキャンパス地のテントのようなものが校庭にたくさん立っていた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 県立広島第一高等女学校校庭
192 NG333-05 食糧難のためイモ畑になっていた校庭には真っ黒に焼けこげた死体があちらこちらにあった。 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/7 県立広島第一中学校校庭
193 NG277-04 学校の焼け跡。倒れた塀のがれきの中に見た頭蓋骨。女性らしく長い髪の毛があった。 盛生 倫夫(モリオ ミチオ) 1945/8/8 県立広島第一中学校
194 NG272 学校のプールの東側で見た若い女性の死体。地面に座ったまま半泣きの表情で爪が胸に立てられていた。 有村 ひろ子(アリムラ ヒロコ) 1945/8/8 県立広島第一中学校
195 NG271 プールや校庭で息絶えた中学生たち。道路側ではれんが塀が崩れ、多くの人々が下敷きになって死んでいた。 有村 行夫(アリムラ ユキオ) 1945/8/8 県立広島第一中学校
196 NG215-02 助けを求める女学生たち。身につけているのは下着のゴムひもだけで焼けた皮膚がたれさがっていた。 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/6 県立広島工業学校入口
197 NG215-01 中年の女性が「殺してくれ」と大声で叫びながら苦しんでいた。頭と顔には血のりがべっとりついていた。 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/6 県立広島工業学校入口
198 NG230-02 原爆投下10秒後、強烈な爆風によりあたり一面暗くなり校舎が浮き上がった。 平野 貞男(ヒラノ サダオ) 1945/8/6 県立広島商業学校
199 NG230-01 原爆投下直後、オレンジ色の熱線に焼かれる中学生たち。 平野 貞男(ヒラノ サダオ) 1945/8/6 県立広島商業学校
200 NG165-06 防火用水槽の中に真っ黒になった遺体が数体。周囲にも2、3体あった。市内には火葬の煙りが上がっていた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 相生橋西側

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