トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
121 | NG183-02 | 昭ちゃんは、幼少年期を拡大していく戦争の中で生まれ育った。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
122 | NG183-03 | 「ススメ、ススメ、ヘイタイ、ススメ」と学校の教科書で習う。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
123 | NG183-04 | 「今に大きくなったらけんしょうつけてけんつけてお馬に乗ってハイドウドウ」 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
124 | NG183-05 | 多くの若い人たちが戦線へと出て行った。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
125 | NG183-06 | 学校の勉強は毎日1~2時間程度であとは勤労奉仕だった。兵士や遺族の家などで農作業の手伝いをした。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
126 | NG183-08 | 高等科2年を卒業する時海軍に志願したが、昭ちゃんは身体が小さいので不採用だった。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
127 | NG183-10 | 昭ちゃんは赤痢になり入院した。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
128 | NG183-25 | 見渡す限りがれきの山でまだ電信柱が燃えあちらこちらで煙が出ている。たくさんの死体があった。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/7 | ||
129 | NG183-26 | 川には人や馬などのたくさんの死体がふくれ上がって浮かんでいた。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/7 | ||
130 | NG183-27 | 頭頂部の髪の毛だけを残してやけどした人を見てどうしてそうなったのか不思議に思う。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
131 | NG183-28 | 倒れている人を見ておとうさんではないかとおかあさんは心配していた。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/7 | ||
132 | NG183-40 | 一発の原子爆弾により廃墟と化した広島、二度と戦争はあってはならない。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
133 | NG183-41 | 「いまの幸せを大切にしたい」 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | |||
134 | NG186 | 「お母さん!!」黙々と避難する被災者の列の中、奇跡的に再会、抱き合って泣き崩れた母と私 | 古井 ナツコ(フルイ ナツコ) | 1945/8/6 | ||
135 | NG195 | 焼けた瓦に白骨がのせてあり、「心当たりの人はお引き取り下さい」と書いた札が立ててあった。 | 亀井 五十子(カメイ イソコ) | 1945/08/17 | ||
136 | NG196 | 川原に設けられた救護所に並ぶ負傷者 | 塚本 四一(ツカモト シイチ) | 1945/8/6 | ||
137 | NG202-01 | B29が2機現われる。落下傘のような白いものの下に大豆くらいの大きさに見えた黒いものを落下した。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | ||
138 | NG202-02 | 火煙が赤く上空になるほど黒くなっていき空に達すると徐々に横に広がっていった。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | ||
139 | NG209-02 | 大正橋へ歩いて行く途中で見た舟の中の死体。真っ黒焦げで両手を上げて硬直していた。 | 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) | 1945/8/8 | ||
140 | NG226-02 | 一瞬の閃光と爆風に広島は壊滅した。道路は負傷者のうめき声とがれきでいっぱいだった。 | 西山 勝登(ニシヤマ カツト) |