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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1361 NG267-03 練兵場の朝礼。訓話が始まってまもなく爆音が聞こえた。雲の辺りだが機影は見えない。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
1362 NG267-04 突然機影が現れ刃物のように鋭く光った。パラシュートが2つか3つ降りてくる。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
1363 NG267-05 突然閃光と爆発の強音に地面が揺れた。空を見上げると巨大な雲が急速に上っていききのこ雲となった。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
1364 NG267-06 練兵場から兵舎の近くへ退避した。強烈な稲妻と雷鳴が地に響き夜明けのような光景にニワトリが鳴いた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
1365 NG267-10 頭痛、めまい、下痢、吐き気を伴う食欲不振で起きられず兵舎で寝る。終日38度くらいの発熱に悩まされた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/8 陸軍船舶司令部の兵舎
1366 NG284-01 司令部の門前には負傷者が横たわっていた。赤ん坊が泣き出し母親は私たち兵隊をにらんだ。 田口 清三郎(タグチ セイザブロウ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部門前
1367 NG267-07 部隊の兵舎が仮設の救護所となり、多数の負傷者がトラックや担架で運ばれてきた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(仮設救護所)
1368 NG267-08 中学生らしい少年は頭は包帯でまかれ手と足も包帯に血がにじみ皮膚は真っ黒に焼けていた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(仮設救護所)
1369 NG267-02 兵器庫の事務室で作業をしながら出られなかった朝礼に出る気になった。これが運、不運の岐路となる。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(兵器庫事務室)
1370 NG267-01 兵器庫の横の空き地で支給された兵器を点検している兵士たち 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(暁部隊)
1371 NG478-01 真っ黒にこげた死体が横たわり炎の中からは助けを求める声が聞こえた。 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(暁部隊)から西練兵場に向かう途中
1372 NG254 きのこ雲の中では上から下に紫の火柱が走り、何回も爆発音がした。紫、オレンジ、赤色の炎だった。 田所 久伸(タドコロ ヒサノブ) 1945/8/6 陸軍船舶整備教育隊
1373 NG260 きのこ雲 堀家 久志(ホリケ ヒサシ) 1945/8/6 陸軍船舶砲兵教導連隊
1374 NG036 陸軍船舶練習部より見たきのこ雲 東 進(ヒガシ ススム) 1945/8/6 陸軍船舶練習部
1375 NG176-10 数多くの死体の中に頭の上部が割れていた死体があった。黒焦げであったが割れた部分が白く見えた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 雑魚場町
1376 NG176-11 死体を収容する兵隊。両手に2人、両足に2人、首に1人でささえていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 雑魚場町
1377 NG176-12 兵隊が死体を火葬しているところを見る。死体に重油をかけ、まるで木の根を焼くようだった。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 雑魚場町
1378 NG230-03 太陽に照らされて体全体がヒリヒリするのに気づいた。まだズボンやゲートルがくすぶっていてた。 平野 貞男(ヒラノ サダオ) 1945/8/6 電信隊
1379 NG462-02 防火用水槽の水を飲もうとする大やけどを負った人。 児玉 宇多子(コダマ ウタコ) 1945/8/6 青崎一丁目の国道沿いの防火用水槽
1380 NG236-02 負傷者であふれた救護所。この惨状の中で出産というできごともあり、懸命にその世話をした。 知久 喜代野(チク キヨノ) 青崎国民学校

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