トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1341 | NG457-02 | 暁6140部隊のトラックで運ばれる負傷者たち | 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) | 野戦船舶本廠 | ||
1342 | NG457-04 | こわれた兵舎の屋根を修理し負傷者を収容する。子どもたちは母親を呼びながら死んでいった。 | 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) | 野戦船舶本廠警備中隊、縫製工場 | ||
1343 | NG401-04 | 家にもどったが誰もいなかった。水道から水が吹き出し一斗缶の米は焼けて真っ黒になっていた。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | 1945/8/6 | 金屋町 | |
1344 | NG436-09 | 友人の道子さんを励ましながら逃げてきたが、道子さんは動けなくなって座り込んでしまった。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 金屋町 | |
1345 | NG019-14 | 金座街より京極方面 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 金座街より京極方面 | ||
1346 | NG457-01 | 金輪島から見たきのこ雲 | 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) | 1945/8/6 | 金輪島 | |
1347 | NG197-06 | 水を求め、防火用水槽の中で折り重なるように亡くなった多くの人々。ほとんどが女性と子どもだった。 | 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) | 1945/8/7 | 鉄砲町 | |
1348 | NG391-04 | 避難する人はみな白島方面に向かっていた。 | 前田 修治(マエダ シュウジ) | 1945/8/6 | 鉄砲町 | |
1349 | NG391-01 | 被爆前の自宅 | 前田 修治(マエダ シュウジ) | 1928~1945/8 | 鉄砲町の自宅 | |
1350 | NG391-02 | 家の下敷きになった両親を救出する。 | 前田 修治(マエダ シュウジ) | 1945/8/6 | 鉄砲町の自宅 | |
1351 | NG391-03 | 姉を捜しに行こうとしたが避難する人々で道はあふれ遠くではすでに火災が発生してできなかった。 | 前田 修治(マエダ シュウジ) | 1945/8/6 | 鉄砲町の自宅前 | |
1352 | NG315-01 | 負傷者の収容場所となった長寿園。水を求める人に鉄かぶとで川から水を汲み飲ませる。 | 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) | 1945/8/6 | 長寿園 | |
1353 | NG292-01-39 | 爆心地近くの小川まで来たが橋がなく川に降りた。川の中は皮膚のはがれた死体が折り重なったいた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/9 | 長崎県長崎市爆心地付近 | |
1354 | NG314-31 | 水爆実験即時停止、核兵器全面禁止、核兵器の国際管理を求める署名運動とチラシ配りを行う。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1954/4 | 阿佐ヶ谷駅 | |
1355 | NG257-01 | 多くの負傷者を前に食べ物を口にする暇もなく治療にあたる。 | 服部 道子(ハットリ ミチコ) | 陸軍教育船舶団司令部 | ||
1356 | NG257-02 | やけどした少女の顔。 | 服部 道子(ハットリ ミチコ) | 陸軍教育船舶団司令部 | ||
1357 | NG002-05 | 鉄骨だけが残った陸軍病院の内部、ベットの上に並ぶ黒焦げの焼死体 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | 陸軍病院 | |
1358 | NG235 | 電灯の下、救護活動の兵隊に水を求める負傷者たち。薬は赤チンとリバノール液しかなかった。 | 平野 鈆三(ヒラノ ショウゾウ) | 1945/8/8 | 陸軍病院疎開先の被災者収容所 | |
1359 | NG202-03 | 陸軍船舶司令部前の桟橋には人々が折り重なって倒れ救援の船を待っていた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部 | |
1360 | NG202-04 | 歩いている人はみな桟橋に向かっていた。倒れている人も桟橋を向いていた。そして水、水と言っていた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部 |