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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1301 NG183-20 振り返ると私たちのいた病院は火の手が上がっていた。川向こうの方も火が燃えていた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院から江波までの天満川沿い
1302 NG183-21 対岸では逃げ場を失った人たちが川に飛び込んでいた。早く早くとかばいあいながら逃げた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院から江波までの天満川沿い
1303 NG183-22 やけどやけがをしたたくさんの人たちが逃げてきた。ニワトリも羽が焼けた哀れな姿で走り回っていた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院から江波までの天満川沿い
1304 NG183-18 逃げていく途中、一人の兵隊さんが、誰か誰か水を下さいと叫んでいた。目や腕をやられ血だらけだった。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院付近
1305 NG183-19 水道がこわれ水が吹き出ていたので、それを飲ませてあげた。おいしいとつぶやいて兵隊さんは亡くなった。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院付近
1306 NG071-02 近くの山に登って高い所から広島の様子を見る。 長見 英希(ナガミ ヒデキ) 1945/8/6 船越の近くの山の上
1307 NG103-05 負傷して庄原に運ばれる途中の駅で偶然叔母と再会した少年兵。トマトを食べたがったがそのまま亡くなった。 内田 栄一(ウチダ エイイチ) 1945/8/8 芸備線庄原駅の2、3手前の駅
1308 NG054-03 救護所ができるが、薬とガーゼもすぐつきてしまい、やけどで亡くなった死者が山のようになった。 江角 隆雄(エスミ タカオ) 1945/8/6 荒神社
1309 NG278-02 焼け跡で乳飲み子をしっかりと抱きかかえた母親の死体。 八島 猛(ヤシマ タケシ) 1945/8/9 袋町付近
1310 NG400-05 電気がついたと思い近寄って見ると電柱の先が炭火のようになって点灯しているように見えたのだった。 匿名 1945/8/8~8/9 袋町国民学校
1311 NG261 バスの中は傷ついた若い女性でいっぱいだった。田舎道を走るバスがゆれるたびに悲鳴やうめき声があがった。 賀川 里子(カガワ サトコ) 1945/8/7 被爆女性(河内駅より豊栄行きのバスの中)
1312 NG062-08 父は大やけどを負いながら家の下敷きになった母を助け舟で逃げる途中亡くなった。その川原で父を火葬する。 大場 孝子(オオバ タカコ) 1945/8/6 西原の川原
1313 NG004-01 建物疎開作業に向かう途中で被爆し、助けを求める草津国民学校の生徒たち。 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 西大橋
1314 NG040-03 練兵場で作業中に被爆した兵士たち。大やけどを負い、身体には、帯革と靴のみが残っている。 貞森 幹夫(サダモリ ミキオ) 1945/8/7 西練兵場
1315 NG103-03 座り込んで動けない3人の中学生。真ん中の少年は目が飛び出て垂れ下がりそれを左手で受け止めていた。 内田 栄一(ウチダ エイイチ) 1945/8/6 西練兵場
1316 NG172-03 西練兵場付近で見た火ぶくれの黒い死体。作業後一休みの一服という人たちにも見えた。 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ) 1945/8/9 西練兵場
1317 NG208-05 西練兵場に収容された無数の死体。行方不明の姉を捜したが区別がつかずどうしようもなかった。 高橋 正明(タカハシ マサアキ) 1945/8/8 西練兵場
1318 NG343-03 中学生のものだろうか。包みは熱で焼けアルミの弁当箱だけがきちんと並べられた状態で残されていた。 竹内 勇(タケウチ イサム) 西練兵場
1319 NG470-02 黒焦げの遺体を運び火葬する。焼け残りの材木と遺体を交互に積み重ね火葬する作業が毎日続いた。 篠山 益治(ササヤマ エキジ) 1945/8/7 西練兵場
1320 NG478-03 やけどした兵隊。帽子を境に顔・首・手は焼けただれ手の皮は垂れ下がっていた。 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/6 西練兵場

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